鬱と心理学の実態 | 非二元|生きている「おいしさ」を味わう

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先日、友人と会った時、非二元のセッションを受ける人は、どういう人が多いの?と聞かれ、「最近は鬱の人が増えてきたかな」と答えた。

特に、臨床心理士や心理カウンセラーの人が鬱になり、自分が鬱なのに、鬱の人からの相談を受け、助言する立場にいるのがツラい、というケースが増えてきている。

人の役に立ちたい。苦しんでいる人を助けたい。そう思って、心理学を学ぶ人が増えてきたけど、自分が苦しむことになったなら、人を助けることなどできなくなる。

あのフロイトだってコカインに依存し、ユングも最後は心理ではなく真理を求めて、インドに渡り、ラマナに会おうとしていた。
人のためにと思って心理を学んでも、遅かれ早かれ、自分と向き合わされることになる。

では、その向き合うべき自分とはなんなのか?

ラマナは、自分ではないものを調べさせることによって、真我を差し示していった。
私の場合は、鬱の状態にあっても、鬱に巻き込まれていない空の気づきがあることを確かめてもらう禅的アプローチを好んでいる。

友人からは、坊主バーをやればいいのにと勧められたが、そのためには東京を離れ、しばらく比叡山に登る必要がある。
明日のことは、どうなるか私には全くわからないが、ひとまず今夜、比叡山にいた滋賀の親戚に電話して相談してみようと思う。

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