何度かにわたりストレスについて書いてきました。僕もサラリーマン時代においても経営者をやっている今においても生きていくうえで大きな障害となっているのがやはりストレスです。
むしろ自分や社員などを含め、ストレスの軽減や無くすこと自体が日常の仕事の大半となっているような気さえしてきます。本日、ストレスに関して、ある先生とお話ししました。
ストレス耐性の高い人を見極める為の適性検査を扱っている方です。その方がおっしゃるにはストレス耐性が脆弱な方は、ある程度適性検査の結果で分かるそうです。企業はそれを導入して実施することによりストレス耐性の低い方を採用するリスクを軽減するというものです。
ただ、もう一つ重要な点は、ストレスはもって生まれた性質より環境要因が大きく働くという事だともおっしゃっていました。例えばストレス耐性が低くても、自分に適した人間関係の良い職場ならうつなどの病気にはならない。しかし逆に適性検査でストレス耐性が強いという結果が出た人でも、環境次第ではうつなどになるということです。
結局大事なのは社員と会社のマッチングなんだろうなと思いました。
そして前々回に書いたストレスの対処法
①ストレスの根源を断つ
②ストレス耐性をつける
③ストレスを回避する
の3つを上げましたが、もう一つ…、『ストレスの要因を理解する。』というのもあることに気づきました。
どういう事かと言いますと、人にもよると思いますが、ストレスの一つに自分が考えている事と異なる状態になった時、人はストレスと感じると思うんです。しかし、この点なんですが、よく考えると解決し難い場合がほとんどです。
例えば、僕のような経営者でもいろんなタイプの経営者がいます。例えば、ガンガン売上を伸ばしたい経営者もいれば、売り上げ増は気にせず仕事を増やさない人もいます。
うちの現場ですと、接客をできる限りスピードアップして上げたいという思いの担当者もいれば、アルバイト、パートに負担がかからないようゆっくりと理解を深めながらというやり方をする人もいます。
大工の見習いになっったとして、毎日怒鳴り散らす親方もいれば、口調の優しい親方もいるかもしれません。しかし、腕は怒鳴る親方の方が数段上で数年後には、そちらの親方につく方が一人前になるという場合、人生にとってどっちがいいのでしょう。
3つほど例を書きましたが何を言いたいのかと言えば、どちらが正しいとは言えない微妙な意見の食い違いや選択の違いで、二者択一をしなければいけなくなった時、自分の意見ではない方が採用された場合ストレスです。
そうであるなら、ストレスは根源を断てるも事の何倍も根本的に解決できないことの方が多いでしょう。それは世の中、選択するものの中で正しいか正しくないかという基準で図れるものなどごく一部なはずですから…。
『どちらが正しいのか?』という事ではなく、自分がどちらを選択するのか、また身を置いた環境に、どれだけ柔軟に理解し適応できるか!という点もストレスを無くす為の大切な能力だと思うのです。
ですから、僕等企業の責任者は出来る限り何故そうしたのか、何故そう決めたのか、何故そうするつもりなのかということを説明する義務もあるのだと思っています。
社会とは個と組織の融合体。その強さと弱さ、出来る事と限界を組織も個も理解し、新しい個と組織の融合した社会作りをしていかなくてはいけないのではと感じています。
ストレスの対義語としてあるのがハッピーであるのあら、我々はやはりストレスフリーを目指していかなくてはいけないですね。ただ、根性と我慢の時代で育ってきた我々世代では、つい『甘え?』という言葉で済ましてしまう節があります。
それでは、もう古い経営者なんでしょうね~。ストレスと新時代。まだまだ、経営者として考える事が山積みです。