いわゆる、江戸の事件をぼちぼち……と。
今回は、『少女の死』 ……『半日閑話』 より
文政元年(1818年)六月十四日、山王夜宮のこと。
ある旗本が娘を連れて祭礼見物に行こうとして、娘に着替えさせ、自分も着替え終わって出ようとしたところ、娘の姿が見えなかった。
いろいろさがしたが一向に見つからない。
それから大騒ぎになって、人を頼み迷子を尋ねるように捜したが、どうしても見つからない。
大方神隠しにでもあったのだろうと、母親の嘆きようは普通ではなかった。
まるで気が触れたかのようだった。
しかし、どうしようもなく、段々に諦めはじめた七月二日のこと。
隣家は空き屋敷で、草が茫々と生い茂っていたが、草を刈りに来た者が、新しい子供の雪駄が片々とあるのを見付けて、不思議に思いながら持ち帰った。
「子どもが来るような所ではないのに、雪駄が捨ててあるのは奇妙なことだ」
などと話していると、
「この頃お隣の娘子が見なくなったことがあったが、もしやその娘の雪駄ではないか。
明日になったら見せてみるといい」
と言い出す者が現れた。
翌日になって草刈りのついでに隣家に持って行って見せると、行方の知れなくなった娘の者に間違いなかった。
それから、草が生い茂っている場所へ行き、どんどん草を刈っていった。
すると古井戸があった。
もしやこの中に入っているのではないかと、井戸掘りを至急呼び立て、井戸の中を捜させた。
予想通り、井戸の中から娘の死骸が上がった。
袂には、ほおずきが五つ六つ入っていたという。
察するところ、古井戸端にほおずきがあるのを取ろうとしてやってきて、誤って落ちたものだったろう。
草が茂っていたせいか、炎天の中だったが、姿形もそのままで簪(かんざし)なども挿し、髪も結ったままだったという。
まことに無惨と云うも愚かだろう。
娘の姿を見た母親は、また狂乱の有様となったという。
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