【怪しいおやぢ】です。
いわゆる、江戸の事件をぼちぼち……と。
今回は、『殿中でござる』 ……『半日閑話』 より
文化十二年六月の頃という。
勘定奉行肥田豊後守という【侫者】がいた。
彼は元は御右筆から上り詰めてきた随一の出頭人で、倹約を第一とし、下々の痛みも省みず、上には【侫口】をもって言い繕ってきた。
この頃、御政道のことで長崎奉行牧野大和守と御評所で争論し、終いには豊後守が悪口を吐いた。
そこで、その争論は大目付が取りなして事を済ませた。
しかし、大和守は怒りが収まらず、評定所からの帰りに、同族の老中牧野備前守宅へ行った。
そのあと、御用御側の平岡美濃守、巨勢日向守へも廻り、評定所でのことを事細かに訴えて帰宅すると、翌日から屋敷に引きこもってしまった。
さて、争論件は直にお上の耳にも入り、ことのほか不機嫌な様子で仰せられた。
「役人たるもの相談はもっともだが、殿中に於いて争論に及ぶことは、重々不届きである」
そこで、日を置かず、肥田豊後守は西丸留守居を仰せつけられ、御足高千石を取り上げられた。
牧野大和守は新御番頭へ御役替えとなった。
【侫者】こびへつらう者。あるいは、邪な者。
【侫口】へつらい口、あるいは嘘。
『半日閑話』≪太田南畝≫
【注】
右筆は、百五十俵です。
勘定奉行は、三千石。
足高は、役職と本人本来の家格(禄高)とに格差がある場合、役職に就いている間だけ差額として支給されます。
肥田豊後守は、百五十俵=百五十石から、二千石近くの禄高を貰うほど出世し、さらに千石の足高を貰って、勘定奉行を勤めていたことになります。
言ってみれば、口げんかをして、腹立ち紛れに言いつけて廻った……。
というところでしょう。
ですが、
長崎奉行は、千石格の役職ですが、役料として四千俵(石)もらえます。
牧野のように、もともと千石近くも貰っている家柄の旗本からすれば、かなり実入りのよい役職だと言えます。
ただの口げんかではないのかもしれません。