【怪しいおやぢ】です。

 範疇に困る話……『江戸奇譚』

 今回は、『犬食い男』


 文政六年の冬の頃、犬を好んで食う非人(俗に菰かぶりと言う者だ)がいた。

 文政六年の十二月、昌平橋の外で、ある人が見ていると、犬食いの男が、子犬を生きたまま食い尽くしたという。


 また元飯田町の中坂にある万屋の傍でも食べていたという。

 このときは、死んだ子犬一匹と猫一匹に縄を付けて引きずっていて、男は子犬の毛を拭い、皮を剥ぎ、腸をつかみだして食う様は、言いようもなかった。


 この様子を見た者は、誰もが垣根のように呆然と立ちつくしたまま、しばらく道から立ち去れなかった。

 そう家の者に報告した。


 この男の風体は、蓬髪裸体に菰を着て陽物をさらけ出していて、婦女子を見ると必ず追いかけた。

 年の頃は四十前後ほどにもなろうか。

 男の歯の白いことは水晶も見まがうことほどだった。

 これは悉く獣肉を生で食いせいだろう。


 その年も暮れかかった頃、男はだいたい筋違御門の広場にいたが、ある日犬を捕まえようとして、誤って膝を噛まれて傷を負った。

 それから今までのようには走れなくなった、と言う者もいたがその後はどうなったのだろうか。

 翌年には噂も聞かなくなった。


 噂では、この男は由緒ある家の次男だったが、慢心から狂乱したのだという。

 後には親からも見放され、無宿になったという。

 しかし、男のていたらくを見ると、由緒ある家柄の者が落魄した末の狂人とは見えない。

 落魄者の説はおそらく虚言だろう。


『兎園小説外集』 滝沢馬琴 より