【怪しいおやぢ】です。

 範疇に困る話……『江戸奇譚』

 今回は、『念仏犬』


 文化十二、三年の頃(1816年)、江戸本町河岸に奇妙な牝犬がいた。

 この犬はいつも、囉斎弱法師や、あるいは木魚を打ち鳴らして、読経念仏する者が門口に立つことがあれば、必ずその後に着いて回り、一緒に念仏を唱えるように、わうわうと吠えた。


 牝犬は、彼らに数町着いて歩くこともふつうだった。

 それで、他の町内の雌犬に噛み賦せられて、やっとのことで逃げ帰ることも多かった。


 初めの頃は、辺りの者も不思議に思って、誰もが感嘆し、哀れみも覚える者もいた。

 日毎に馴れ、耳に馴染んでくると、ただ念仏犬と呼ぶだけで、やがて不思議とも何とも思わなくなった。


 この犬のことを老候に話すと、そうした話に興味を示すお方なので、いたく感心なさり、

「私はその犬を飼ってみたい。飼い主があるなら、ともかくうまく計らってくれ」

 と仰せになった。


 最初、この犬の話を、本町の薬屋長崎屋平左衛門から聞いたので、この長平に話を通してみた。

 事情を話すと、件の牝犬には飼い主がいないということだった。


 子犬の頃、長崎屋の奉公人たちが哀れんで物を食わせていたので、近所では長崎屋の犬だと言う話になっているが、実際は違いますよ。という話だった。

 結局、牝犬は老候の屋敷で飼われることになった。

 老候の歓びようは一方ではなく、長平にはずいぶんな下され物があった。


 牝犬は、南の殿の庭に繋がれて飼われることになった。

 以後の牝犬は、ただ食う寝るばかりで、鉦鼓読経の声も聞く事がなくなったし、法師の後から着いて回ることもなくなり、普通の犬と変わらなくなった。

 その後数年して、一日病みついて死んだ。

 『兎園小説外集』 滝沢馬琴 より