【怪しいおやぢ】です。

 範疇に困る話……『江戸奇譚』

 今回は、『祐天狐』


 文政三年(1820年)の秋、大伝馬町二丁目のきせる問屋升屋善兵衛の娘(年は十八で名はあい)に祐天僧正が乗り移った。

 娘は、突然六字の称号を書き、名を祐天と書いて花押まで記した。


 字も花押も祐天僧正のものと少しも変わらなかったので、間違いなく祐天僧正が乗り移ったということになり、名号を書いてもらおう、十念を受けよう、と願う者が多くなった。


 昔、羽生村の累女を悟らせた祐天僧正が、再びお出でなさったと、愚痴無知の老若男女が、升屋の門前に市をなすほど集まった。

 この娘は、名号も書き十念も出したが、祐天僧正が乗り移らない日は、普通の娘で普段と変わらなかった。


 この娘が書いた名号だと言って、元飯田町薬店小松三右衛門が持たせて寄越した。

 開いてみると、表装は赤地の錦で、たいそう立派に仕立てた絹地の堅物に、


 南無阿○○仏 祐天 花押 

 とあるように弥陀の二文字が違っていた。


 これを借りて南畝翁に見せた。

 南畝翁は、ちょうど酒宴の最中だった。

「尊い名号なので、今このような生臭い口では、親鸞なら頓着はしないだろうが、祐天ではちと不向きだ」


 と言って口を漱いで一軸を開いた。よくよく見て、

「この弥陀の二字を変えたのは、まさしく狐狸の業だ。

 弥陀を憚ってわざと書き違えたのだろう。

 口など漱いでつまらぬことをした」


 などと言って笑った。

 すぐに杯を傾けながら、

 祐天がのりうつりたる名号のひかりをみたの二字にこそしれ、

 と狂歌を詠んだ。


 この娘の一件があまりに不思議すぎると言うことで、大伝馬町の名主馬込氏が、自分自身で升屋に行き、詳しく聞き糺した。

 それから、娘に面会して様々に詮議して問いつめていくと、ついに本性が顕れた。


 その様は、どう見ても、狐が憑いたのに間違いなかった。

 そこで馬込はいよいよ厳しく問いつめて、ついにはこの狐を追い払ったという。

 娘に狐を憑けたのは、升屋の後家だった。


 後家は、毎年上州から来て泊まっていく絹商人の弥三郎と密通していて、その絹売りが狐を憑けることを企んだものだった。

 この件は露顕したが、絹売りは出奔したあとだった。


 馬込の計らいで、後家を親元に預け、娘あいは親類方に引き渡した。

 升屋の当主は幼少だったので、落着するまではこれまで同様支配人預けとした。

 この頃の馬込氏は、あれこれの取り計らいがよく、宿老はこうありたいものだと言われていた。


 それにしても、名号を一度見て狐狸の仕業だ、といち早く悟った南畝翁の先見はさすがだと言うべきだろう。

 翁の狂詠に、名号のひかりをみたの二字をしれ、とはもとより尊き弥陀の二字なので、その光に恐れて書き換えたのだとすれば、この二字で怪しいものの仕業だと知れ、と詠んだものだろう。
 『兎園小説』 文宝堂 より