【怪しいおやぢ】です。

 範疇に困る話……『江戸奇譚』

 今回は、『我が親、犬になりて』


 寛永(1624-1644年)の初めの頃、尾州熱田白鳥の住職慶呑和尚が、浜松普済寺の住職となって入院した。

 二、三日すると町の者が薄黒色の犬一匹を連れてきて、寺で飼えと勧めた。


 和尚もこの犬を見て、毛色の変わった珍しい犬だということになり、そのまま寺で飼うことになった。

 やがて住職の年期が来て退院することになった。

 例の犬も用がなくなり、連れてきた男の元に返すことになった。


 その夜の和尚の夢に犬が出てきて言った。

「我はお前の親だ。一緒に連れて行って飼ってくれ」

 和尚は夢から覚めると、翌朝寺の僧に向かって、


「さてさて、犬と言っても油断のならないものだ。わたしの親だから連れて行けと言ったぞ」

 と笑いながら話した。


 次の夜の夢にまた犬が来て、

「我は確かにお前の親なのだ。

 もし連れて行かないと言うのなら、お前の命を取る」

 と告げた。


 和尚は驚いて飛び起きた。

 すでに疑いは晴れている。

 和尚は、すぐに犬を連れ戻し、熱田へ連れ帰った。


 熱田の白鳥では、この犬を地面に放すようなことはせず、座敷だけにおき、飯も和尚と一緒に食い、寝るときも同じ閨だった。

 

 寛永十年に江湖を置いたが、犬が和尚と同じように一番の座の飯台に座るので、これを見た大衆は憤った。

「どういう理由であんな動物と同じ飯台に付くことがある。それを止めないと江湖を解散する」と。


 これを聞いた和尚は、大衆に向かって、

「その憤りはもっとものことです。しかしながら、この犬は我が親です。その故はしかじかで、どうか許していただきたい」

 と詫びた。


 大衆もようやく承知して我慢することになった。

 その犬は、江湖の翌年に死んだ。

 その葬儀はたいそう懇ろなものだったという。


 【江湖】その宗派では重要な儀式。

 大勢の禅僧が江湖の行われる寺に集まり、長く逗留して勤行する。


 『蒹葭堂雑録(けんかどうざつろく)』 暁晴翁 より

 暁晴翁は、大坂の人。万延元年(1860年)、69歳で獄中死した。

 丹波に遊んだ際、百姓一揆の檄文を書いた咎で獄に繋がれたのである。


 さて、初代蒹葭堂は、希有の蔵書家であった。

 その死に際して、幕府は蔵書の目録の上納を命じた。

 結果的には、蔵書も幕府に上納する羽目になったのだが、そも目録作成の過程で、四代目に依頼された暁晴翁が編集したのが、この雑録ということになる。