【怪しいおやぢ】です。

 どのカテゴリt-に放り込もうか、迷った挙げ句、『江戸奇譚』というカテゴリーを作りました。

 今回は、「双頭蛇」


 文化十二年秋九月、越後魚沼郡六日町の近くの余川村の金蔵と言う者が、双頭蛇を捕まえた。

 金蔵の隣人は太左衛門である。


 この日、金蔵は所用があって門の辺りにいた。

 そのとき件の蛇が地上を走り、隣家との境の生け垣をよじ登り始めた。

 金蔵は目敏く見付けると、蜂起でもって払い落とし直ぐに捕まえた。


 蛇は、長さが六寸ほどで、全身が黒かったが、中央付近は薄墨色で、腹は青かった。

 すぐに桶に入れて飼うことにした。

 ほどなく近郷の村でも話題になり、老若とわず毎日のように蛇を見に来る者が多かった。


 まずこの蛇が進もうとするとき、双頭をそれぞれ振り、左の頭は左に行こうとし、右の頭は右に行こうとするようだった。

 そして、双頭が一心になったときは、真っ直ぐ走った。

 また、桶に入れていてとぐろを巻くときは、双頭が重なってしまって、普通の小蛇のように見えた。


 さて。

 近隣の香具師がこの蛇を数金で買い取って見世物にしようと考えた。

 その話がまだ煮詰まらないないに、猫に噛み去られて、追いかけたが逃げられてしまった。


 当時、魚沼郡塩沢の質屋義惣治が蛇の略図を書いて家厳(馬琴)に送ってきた。

 金蔵は、義惣治の死んだ息子の乳母の子である。

 そういう縁もあって、取り寄せて、よく見て描いたのだろう。


 そこからしても、この話は伝聞にまかせたあやふやな話ではないと思える。

 考えてみると、小蛇は身体の色がみな黒いものだ。

 生まれて二三年で皮を脱いで色が決まっていく。

 件の双頭蛇は、その黒色が本来の色ではないだろう。

 『兎園小説』滝沢琴嶺 より 
 
 
 塩沢の質屋義惣治(義三治)というのは、『北越雪譜』の著者、鈴木牧之(すずきぼくし)のことです。

 牧之は、絵は幼少から狩野梅笑に学んで絵師はだしでした。


 『兎園小説』の編者馬琴の他に文人では、太田蜀山人、山東京伝、京山、一九、三馬ら、画家では北斎や文晁などと親しく往信しています。


 琴嶺は馬琴の息子で、つまるところ、義惣治が描いたものだから、嘘では無かろう。

 そう結論づけたということになるかもしれません。


 ちなみに、【家厳】は、他人に対して自分の父をさすことばです。

 訳さずに

そのまま使用してみました。