【怪しいおやぢ】です。

 

 プレ百物語……進行中です。



 【猫口説江都百物語】 (終)西丸大名小路猫屋敷



 いつの頃からか、江戸城西丸、大名小路にある堀田備中守下屋敷は、猫屋敷と呼ばれていた。
 八千坪余の屋敷の敷地内には秋葉社が祀ってあり、いつ頃からか社に古猫が住むようになったという。古猫は折にふれて障りをなしたとかで、古猫のために別に祠を設けて祀っていたそうである。
 すると、その辺りにたくさんの猫が集まり群れ住むようになり、この猫にちょっかいを出すと、仇をなしたのでずいぶん難儀をしたと言われている。そのせいで、犬すら近寄らなかったとも言うが、定かではない。
 この安政二年十月二日の地震で神田小川町の上屋敷が倒壊したとき、備中守は老中職に復帰しており、しばらくの間広尾の下屋敷から通っていたが、安政三年になって、西丸の下屋敷に引っ越して、居屋敷とすることになった。
 屋敷には、祟ると評判の古猫の祠があり、噂通り、うざうざと猫が集まっている。
 老中首座であり、開明派で名高い堀田備中守の居屋敷が、『猫屋敷』などとと呼ばれていたのでは、話にならない。
 堀田備中守は、屋敷にいる猫たちに向かって告げた。
「さて。これより当屋敷には、本来の主たる堀田備中が住まうことになる。ついては、古猫の祠を我が菩提寺に丁重に移すとことになった。お前たちは、これについて行き、速やかに屋敷を明け渡すがよい」
 ところが猫たちは素知らぬ顔をしている。そればかりでなく、夜半になると徒党を組んで襲ってきた。屋敷内に入り込み、あちこちの障子や襖を引き裂き、爪痕を付け、糞尿をまき散らし、食い物を持ち出したのである。
 このありさまを見た備中守は激怒した。
「猫畜生といえども、老中首座たる予自ら礼を尽くしたはずじゃ。それがこの仕打ちか。ものども、不埒な猫どもを皆殺しにせい。予が許す」
 すぐに備中守の家来総出で猫狩りがはじまった。広尾の下屋敷では狐狩りをして、全滅させた堀田備中守の家中である。たちどころに猫を狩り尽くし、屋敷の庭には猫の死体の山ができたという。
 備中守は、それでも腹の虫が治まらなかったと見え、賄組に大鍋を持ってこさせ、
「材料はふんだんにそろうた。美味い吸い物を作れ」
 と命じたのである。既に広尾で狐鍋は経験を積んでいる。
 やがて、出来上がった猫の吸い物を、
「猫狩りご苦労であった。遠慮はいらぬ。たらふく食うがよい」
 と家来衆に食わせてしまった。
 それでも、食いきれなかった猫がずいぶん残った。備中守は、残った猫を俵詰めにして本国の佐倉領に送らせ、大穴を掘って埋めたという。
 備中守が殺させた猫の中には、尾が二股の猫もいたという話だったが、その中に、『彼ら』がいたかは知る由もない。