【怪しいおやぢ】です。


 『中陵漫録』にも、河童に関する記述があります。


 「河太郎の歌」と題された項目。



 ―――河太郎が人を襲うことが希にある。


 (河太郎がいるような)怪しげな川に入って水浴びしたり、魚を釣ってはならない。


 奥州にはこの被害はないが、西日本では時々この被害がある。


 このために、豊後の○○が、河太郎を禁じる手段を知っているので、霊符を出す。


 もし猟に行き、あるいは怪しげな水辺を渡るときは、この歌を三度歌うべきだと云われる。


 河太郎の害を防ぐことは、実に確かだという。


 ひやうすへに川たちせしを忘れなよ川たち男我も菅原


 ―――。



 九州の話なので、やはりこの歌です。


 これは、河童に対する禁忌というよりも、水神に対する禁忌に近いものがあります。

 

 特に、九州に於いては、水神的な傾向が強いので、こうした話が伝わるのは、当然かもしれません。



 

 この文章の中で、気にかかったのは、


 奥州にはこの被害はないが……という部分。


 著者の佐藤成裕は、上杉候の招きを受けた際、奥州陸奥と歩き回って所産物を調べています。


 とにかく、なにもかも聞いて調べる……といった人だったらしい。


 その人が、ないと書いています。


 これは、注目すべきでしょうし、


 事実、江戸後期まで奥州では、


 水棲の怪しい存在は、メドチというものが一般的で、


 河童はごくまれにしか記されていないという説もあります……。


 

 置き換えられていった……ということかもしれません。


 戊辰戦争や、明治天皇の行幸……。


 あるいは、ソメイヨシノという桜ともに、


 河童も植え付けられていったのかも知れません。