四谷辺の身分の軽い御家人の家に、下僕も供も雇えない者がいたが、訳あってのことか仙台生まれの者を住まわせていた。
 文化五年辰年の暮れ、節分に豆をまく者がいなかったので件の仙台者を頼んだ。
「おやすいご用だ」
 とすぐに煎り豆を升に入れ、さて大声を上げて、
「鬼の目だ。何の目だ。福は内、福は内」
 とはやし立てたので、居合わせた者だれもが珍しい大声で笑ったそうである。
 聞き慣れぬことばだったので、笑うのも仕方あるまい。
 と原田翁が話していた。

 ※校注では、節分は立春の前夜。旧暦では年末に当たることもあった。とある


  【耳嚢(みみぶくろ)】根岸鎮衛著・三章企画編訳