紀州家の建士が、ある時魚肉を食し、ふと喉笛にそのトゲを立て、百計を試みるも抜けなかった。
 二、三日そのままにしていたが、後には湯水・食事の際にも痛みがあってたいそう難儀をしていた。尾陽家(尾張徳川家)の建士と出会うことがあってことの次第をはなすと、
「それがしに奇策がござる。やってごらんなされ」
 と懐にしていた黒焼きを与えたので、喜んで早速用いた。翌朝、うがい手水を使ったが、前夜までとはうって変わって、まったくトゲの心配がなかった。その後食事の際、そのほかの場合もいっさい気遣いがなく、その夜のうちにトゲは抜けていた。
 不思議な奇薬であると、紀州候へも申し上げ、その薬を与えた人に尋ねると、
「尾張候の御法である」
 とのこと。そこで、御法を乞い求めると、ただ一味(一品種)だったそうである。
 そこで、予もその方法を使って黒焼きを命じたことだった。
 【耳嚢(みみぶくろ)】根岸鎮衛著・三章企画編訳
 
 ※校注には、「芭蕉の巻葉を黒焼きにして用いる」とある。