丹波の国に、詳しい場所は忘れたが、豪農があった。
 数年来その家にいる年寄りは、山の崖の穴に住まいして衣服も人間の通り。食事も同じようにとったが人間ではなかった。
 長年その家に仕えて、子守をし、農作業や家事の手伝いをし、古い時代の話をする様子は、確かに人間とは思えなかった。
 しかし、長年暮らしていると慣れてしまって、家内の年寄り子どももこの老人を重宝して、怪しんだり恐れたりする者はなかった。
 ところがある時、家の主人に向かって、
「私は長年の間ここにいさせて貰い、立ち去りがたく思うのですが、何分公のことでこの度上京せねばならなくなりました。
 長の暇(いとま)を告げねばなりません」
 と話し出したので、主人はもちろん家中の者が驚き、
「あなたがいないと、我が家のことはあれこれ立ちゆきません。長いつきあいではありませんか」
 と必死に留めたが、
「それはできません」
 と言ったきり、次の日からどこへ行ったのか姿が見えなくなった。
 ただ、老人は別れを告げるとき、
「もし、恋しく思ったら、上京した際富士の森で、”おじい”と呼んでくだされ。必ず出てきてお会いしましょう」
 と言ったので、家の者は初めて、老人が狐だと知ったのである。
 後に富士の森に行き、裏の山へ
「おじい」
 と呼ぶと、老人は忽然と現れて、皆の安否を尋ね、世間話をした。
 再び別れる時、
「そなたたちの事が忘れられないので、家に起こる吉凶を前もって教えてやろう。
 狐の声で三声ずつ、そなたたちの身の吉事・凶事について鳴くので、そのつもりで心得ておいて下され」
 と言って別れたのだが、果たしてその通りだったそうである。

 ※富士の森 京都伏見の藤森
   ※【耳嚢(みみぶくろ)】根岸鎮衛著・三章企画編訳