牛渡鹿嶋神社の平三坊まつり!
GW行楽シリーズ4です。
5月5日に、地元のかすみがうら市で、大変めずらしい祭りを見てきました!
かすみがうら市牛渡の鹿島神社で行われる、平三坊まつりです!
ちょっと長い記事ですが、興味深い祭りなので読んでみてください。
牛渡鹿島神社
牛渡鹿島神社は、茨城県鹿嶋市にある鹿島神社の分社です。
牛渡(うしわた)の地名は、その昔、帝の使いと共に旅してきた牛が、主人を追いかけて霞ヶ浦を泳いで渡るが、渡りきると力尽きて息絶えてしまい、牛の亡骸を葬り大きな塚(牛塚古墳)を築いたことから、牛渡という地名が付いた、という言い伝えが残されています。
<牛渡小学校・地域自慢より>
牛渡鹿島神社に伝わる平三坊(へいさんぼう)祭りは、毎年5月5日に行われる、お田植え祭りです。
午後3時頃に、脚絆・草鞋姿の4人が飾り立てた鞍の“お馬さん”を引き連れて神社へやってきました。
平三坊 [発見!!いばらき] - 茨城県
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/south/05.html
しばらくすると太鼓の合図と共に、いよいよ祭りの始まりです。
まずは、拝殿で神官と早乙女役の女の子たちで、お祓いと御清めの儀式が行なわれます。
「早乙女」とは、田植の日に苗を田に植える女性のことです。
本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したと考えられる。
<世界大百科事典より>
神事が終わると、“お馬さん”と代掻き役の青年たちが境内に入ってきて、本殿の周りを威勢良く掛けて廻ります。
これは、田植え前の代掻きを意味しているそうです。
日本では、古くから農耕馬による代掻きが行われていたので、その様子を再現したものだと思われます。
大昔はどの農家にも農耕馬が居たのでしょうが、いまでは馬を飼っている農家はありません。
このお馬さんは、近くの牧場から借りてきているそうです。
代掻きの儀式が終わると、顔に煤を塗った老爺の平三坊が現れます。
巨大な男根を象った、木の棒を振り回しながら、本殿の周りを3周して、観客向かって精液を撒きちらすような仕草をします。
この動作は種蒔きを意味するようです。
その後、孕め女のおかめが二人、弁当をもって登場すると、平三坊がおかめの股間に男根を当てて、性の営みの仕草をします。
これは、人が子を孕むことと、稲穂がはらみ豊かに実ることを結びつけた動作だと云われています。
< [発見!!いばらき] 平三坊より>
地元に伝わる平三坊祭りの言い伝えによると、
その昔、平佐というお百姓が田植えの時に妻の臨月が迫ったので、田植えが終わるまで出産を延ばしてもらいたいとお宮に祈願したところ、田植えが終えてから無事赤ちゃんが生まれた。
このお礼に奉納したのがお祭りの始まりで、「へいさんぼう」とは、平佐と女房がつまったものだそうです。
<牛渡小学校・地域自慢より転載>
平三坊の出番が終了すると、神官とハレ着をまとった、早乙女役の少女が登場します。
早乙女役の女の子は、赤い単衣にピンクの襷、日ノ丸の扇子で作った菅笠を着けています。
「早乙女」とは、ハレの役であり、神に奉仕する神役でもあります。
田植の日にはハレ着(紺の単衣に赤い襷、白い手ぬぐい、新しい菅笠)を着用するといいます。
<wikipedia[田の神]より>
拝殿前に進み出た神官が、早乙女の手を引いて、ゆっくり先導するように歩きます。
早乙女がゆっくりと境内を進み、また拝殿に引き返します。
これは、田植えを意味しているようです。
この動作を2回繰り返すと、静かに神事は終了します。
平三坊まつりは、五穀豊穣と子孫繁栄を願った御田植神事ですが、他のお田植祭とは違って、この地域の文化と独自の物語を持つ、一風変わった神事です。
大変珍しい神事ですが、この牛渡地区だけに伝わる、小さな祭りなのでいつまで続くか不明です。
後継者がいないので、平三坊役の方が引退したら消滅してしまうかもしれません。
近年の写真ブームで、アマチュアカメラマンが大勢来ていましたが、コンクール写真のネタになるだけでは、もったいない儀式です。
ユーモア溢れる豊穣の儀式や地域に伝わる庶民的な文化は、ぜひ後世まで受け継いで欲しいものです。
平三坊 [発見!!いばらき] - 茨城県
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/south/05.html
5月5日に、地元のかすみがうら市で、大変めずらしい祭りを見てきました!
かすみがうら市牛渡の鹿島神社で行われる、平三坊まつりです!
ちょっと長い記事ですが、興味深い祭りなので読んでみてください。
牛渡鹿島神社
牛渡鹿島神社は、茨城県鹿嶋市にある鹿島神社の分社です。
牛渡(うしわた)の地名は、その昔、帝の使いと共に旅してきた牛が、主人を追いかけて霞ヶ浦を泳いで渡るが、渡りきると力尽きて息絶えてしまい、牛の亡骸を葬り大きな塚(牛塚古墳)を築いたことから、牛渡という地名が付いた、という言い伝えが残されています。
<牛渡小学校・地域自慢より>
牛渡鹿島神社に伝わる平三坊(へいさんぼう)祭りは、毎年5月5日に行われる、お田植え祭りです。
午後3時頃に、脚絆・草鞋姿の4人が飾り立てた鞍の“お馬さん”を引き連れて神社へやってきました。
平三坊 [発見!!いばらき] - 茨城県
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/south/05.html
しばらくすると太鼓の合図と共に、いよいよ祭りの始まりです。
まずは、拝殿で神官と早乙女役の女の子たちで、お祓いと御清めの儀式が行なわれます。
「早乙女」とは、田植の日に苗を田に植える女性のことです。
本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したと考えられる。
<世界大百科事典より>
神事が終わると、“お馬さん”と代掻き役の青年たちが境内に入ってきて、本殿の周りを威勢良く掛けて廻ります。
これは、田植え前の代掻きを意味しているそうです。
日本では、古くから農耕馬による代掻きが行われていたので、その様子を再現したものだと思われます。
大昔はどの農家にも農耕馬が居たのでしょうが、いまでは馬を飼っている農家はありません。
このお馬さんは、近くの牧場から借りてきているそうです。
代掻きの儀式が終わると、顔に煤を塗った老爺の平三坊が現れます。
巨大な男根を象った、木の棒を振り回しながら、本殿の周りを3周して、観客向かって精液を撒きちらすような仕草をします。
この動作は種蒔きを意味するようです。
その後、孕め女のおかめが二人、弁当をもって登場すると、平三坊がおかめの股間に男根を当てて、性の営みの仕草をします。
これは、人が子を孕むことと、稲穂がはらみ豊かに実ることを結びつけた動作だと云われています。
< [発見!!いばらき] 平三坊より>
地元に伝わる平三坊祭りの言い伝えによると、
その昔、平佐というお百姓が田植えの時に妻の臨月が迫ったので、田植えが終わるまで出産を延ばしてもらいたいとお宮に祈願したところ、田植えが終えてから無事赤ちゃんが生まれた。
このお礼に奉納したのがお祭りの始まりで、「へいさんぼう」とは、平佐と女房がつまったものだそうです。
<牛渡小学校・地域自慢より転載>
平三坊の出番が終了すると、神官とハレ着をまとった、早乙女役の少女が登場します。
早乙女役の女の子は、赤い単衣にピンクの襷、日ノ丸の扇子で作った菅笠を着けています。
「早乙女」とは、ハレの役であり、神に奉仕する神役でもあります。
田植の日にはハレ着(紺の単衣に赤い襷、白い手ぬぐい、新しい菅笠)を着用するといいます。
<wikipedia[田の神]より>
拝殿前に進み出た神官が、早乙女の手を引いて、ゆっくり先導するように歩きます。
早乙女がゆっくりと境内を進み、また拝殿に引き返します。
これは、田植えを意味しているようです。
この動作を2回繰り返すと、静かに神事は終了します。
平三坊まつりは、五穀豊穣と子孫繁栄を願った御田植神事ですが、他のお田植祭とは違って、この地域の文化と独自の物語を持つ、一風変わった神事です。
大変珍しい神事ですが、この牛渡地区だけに伝わる、小さな祭りなのでいつまで続くか不明です。
後継者がいないので、平三坊役の方が引退したら消滅してしまうかもしれません。
近年の写真ブームで、アマチュアカメラマンが大勢来ていましたが、コンクール写真のネタになるだけでは、もったいない儀式です。
ユーモア溢れる豊穣の儀式や地域に伝わる庶民的な文化は、ぜひ後世まで受け継いで欲しいものです。
平三坊 [発見!!いばらき] - 茨城県
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/south/05.html