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もう沖縄は騙されない  普天間移設問題の真相 ゲスト:真喜志好一氏(建築家)


普天間問題の間違いの始まり。沖縄は72年に返還された。
その直後の73年にアメリカ国務省が「基地統合計画」という部外秘文書を政府に提出。
文書には基地の整理統合リストがあげられていた。
そのリストに対して、アメリカ政府は
「市街地にある危険性の高い普天間が返還リストから漏れているのはおかしい」
とコメントを残している。
つまり、当時のアメリカ政府は普天間の危険性を既に認識していたのだ。

その一方でアメリカは辺野古の海を埋め立て飛行場をつくり
隣接する大浦湾に軍港をつくるということを60年代から計画していた。
1970年沖縄復帰の2年前にアメリカ高等弁務官府復帰特別対策室が米政府に提出した文書に、
沖縄の新空港の建設候補地として1965年の調査結果が記載されている。
そこには、候補地として二つの場所があげられていてそのひとつが辺野古だった。
さらに、辺野古に3000mの滑走路を建設する具体的な計画図が掲載された1966年の公文書も見つかった。
つまり米国防省は、1965年から辺野古に会場基地を作ることを長期的に計画し、
それに沿って動いていたというわけだ。

翻って沖縄は、また日本政府はどう動いたのか。

95年沖縄では、米兵による12歳の小学生を集団レイプする事件が発生する。
この事件に対して抗議集会が開かれ、5万人とも8万人とも言われる人々が集まり抗議の声を上げた。
それに呼応するように、一ヵ月後、日米政府による「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」が設置された。
その5ヶ月後に中間報告がなされ、さらに半年後には最終合意が発表された。

しかし、この時点では、われわれの誰もが1965年から計画されていた
米カ国防省の辺野古新空港計画を知らなかった。
(日本政府はどうかわからないけど)

saco合意がたった一年で成立したことに不審を抱いた真喜志好一氏(建築家)らは
1999年saco合意を究明する県民会議を立ちあげる。
調査を重ねるうちに上述したアメリカの沖縄戦略、すなわち古い施設を廃止し、
辺野古に新空港を建設、その周辺に効率的な基地を展開するという
新たな米国防省の計画が見えてくるようになった。
オスプレイというヘリコプタの訓練施設を欲しがっているということもわかってくる。

アメリカ国防省の長期計画を知った上で、saco合意文書を読めば、
この合意の大きいテーマは普天間からの撤退ではなく
米国防省の長期計画に沿った合意であることは明白だ。

つまり、saco合意とは、米兵小学生レイプ事件で盛り上がった県民の怒りに応答するようにみせつつ、
既に織り込み済みであった普天間からの撤退を約束することによって
その見返りとして辺野古に新しい基地をつくる、、、という1965年から計画されていた米国防省の
計画を推進する口実にされたという話ではないのか。

いや~~~ん。なんつか、びっくり。というか、あんぐり。
そうだったのか。

辺野古に新滑走路をつくりたいといえば沖縄世論は沸騰する。
だから普遍間をやめる代わりに、
代替地として辺野古をだせば受け入れられるだろうとアメリカは考え実行した。
それがsaco合意。

神保   では、日本政府はアメリカの意図を知りつつ合意したのか。
真喜志  自民党は知っていた。自民党が出した辺野古滑走路は1966年の辺野古計画の設計図と同じ。
      知らないわけはない。官僚たちも知らないわけはない。
神保   では、日本政府はなぜ、アメリカの辺野古計画にのったのか。
真喜志  自衛隊が後々使おうとしているのではないか。
神保   日本政府としてもその動機があったという話か。
真喜   そのとおり。



いや~知らんことだらけ。

19歳のときに初めて沖縄に行って
石垣島に泊って
釣りをしてでかいクロダイを釣ったよ。
民宿のおっちゃんがびっくりしてたっけ。


今週の Videonews.comの沖縄特集は
いろんな意味でものすごく良い企画だと思った。
ノートしてみた続きも無料でみることができるよ。
すっかり沖縄に気持ちが動かされたので、
「テンペスト」の池上永一の「バガージマヌパナス」を買って今読了。
脳内沖縄成立!!

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