メロスもエロスも妄想の彼方に、女だけがマイケルの死を悼む | 孫と東村山Rhapsody

孫と東村山Rhapsody

ブログの説明を入力します。

今、1Q84の下巻に突入しました。で、幸福実現党演説映像みました。でもって松嶋×町山 未公開映画を観るTV DEVIL'S PLAYGROUND 後編もみました。オウムも、創価学会も、9.11も、原理主義票と原理主義メディアによるブッシュの再選も、パレスティナ問題も、何もかも、誰かにとっての正しさ問題の話で、考えてみれば矢野市議だって、中村克氏だって、正しさに取りつかれていて、その正しさが間違っているというためにこのブログを始めた私もやっぱり正しさ問題にとりつかれているわけで、、、とつらつら考えていたところに、「エロスの原風景」松沢吾一著     がアマゾンから届いて、やっと正しさ問題からは解放されたのでした。ところが残念なことに、というか当たり前に、エロスの原風景=男たちの欲望史で、それはそれとして楽しめるのですが、それでは女のエロスの原風景はどんなものだろうかと改めて考えてみると、私の場合、エロスの原風景は処女のころにしかなかったということに改めて気がつき、男と女の間には暗くて深いなんかがあるっていうのえらく納得した次第です。1Q84 の下巻をよんでから、男たちの「エロスの原風景」を楽しませていただきます。

ぺろん。