正解なんか ない | ふんわりすとへようこそ!

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~*~ I'm happy because I'm happy ~* ~

 

大好きな手  ・  愛を表現しなくていい

の 続きです。

 

 

セッションの翌々日は、朝から

エソテリックヒーリングの講座でした。

 

夕方近くなった頃、

想念形態に関する画集を みんなで 見ながら

神尾先生の解説を 聴いている最中に、

それとは なんの関係も なかったのですが、

突然 はっと 気づいたのです。

 

「 ああ、お父さんは、

『やり尽くす』しかないのかもしれない・・・」

 

 

サガプリヤワークで 言うところの、‘欲望’。

 

この‘欲望’は、

(抑制するのではなく)やり尽くすことで

消えていく。

 

スター・サファイヤのトレーニング中に

そんな場面が あったことを、

思い出しました。

 

 

日本語で‘欲望’と言うと、

ちょっと 生々しい感じがしますが、

ここでは、『利己的な欲求、主張』 というような

意味でしょうか。

 

 

父が 長年、ことあるごとに 繰り返してきた

‘ある主張’の裏側には、

ある種の欲望、そして それとともに

父の人生の課題とも言えるものが 隠れている、

ということを、私は 知っていました。

 

と言うのも、私(の男性性)も、

父から その課題を 引き継いでいたから。

 

その欲望、

そして それに付随して 内から 噴き出してくる

その主張には、

私自身も、長い間、わけのわからないまま

苦しんできたのです。

 

 

そんな私が 自分の体験から 得ていたのは、

 

『‘欲望’(主張)は、

その存在に 気づき、理解し、受け入れることで、

解消に向かう』

 

ということでした。

 

だからこそ、父にも その方向から

アプローチすべく、

長い時間を掛けて、ひそかに、

準備を 進めてきたのです。

 

 

けれども、方法は、ひとつでは なかった。

 

父が (無意識のうちに) 選んだ 方法は、

『やり尽くす』 という方法だった・・・。

 

 

父自身が、

自分が そんな欲望・主張を 抱えて 生きているのだ、

ということに 気づいてもいない以上・・・

 

『やり尽くす』ことでしか、

その欲望には 対処できないのかもしれない。

 

 

画集の中の ある絵を見ていたとき、

そんな 新たな視点が

私の脳内を 駆け抜けて行ったのでした。

 

 

いやん。

私、また <お助け屋>になっていたのね!?

 

なに食わぬ顔で 講座に参加しながら、

私は 心の中で、ひとり 赤面していました。

 

 

<お助け屋>について、きちんと 説明するとなると

それは それは 長くなりますので、

この記事で 必要な部分だけを ひとことで 言いますと・・・

 

意識の矢印を、自分自身に 向けるのではなく、

自分以外の誰かに対して あーだ こーだと 口を出す、

おせっかいなひと - そんな感じです。

 

こちらについても、サガプリヤさんの本に 書いてありますので、

よろしければ ご覧くださいね。

 

 

マスターズタッチ―サイキックマッサージ

 

 

父の 人生の課題は、

父にしか 扱うことが できません。

 

いくら その課題を 共有していようとも、

私には どうすることも できないのです。

 

それなのに、私は、

父の課題を なんとかしよう!と

必死になって、働きかけを 試みていたのでした。

 

(まあ、命が かかっているだけに、

黙って見ていられない!という 気持ちも、

自分のことながら、理解できるんですけどね。)

 

 

ああ、また、やってしまっていた・・・

 

自分(の女性性)の エゴの土台、

『私が なんとかしなければ!』 ってヤツに

またしても 乗っ取られていたことに、

私は 気づきました。

 

何度 繰り返しても。

何度 同じような気づきを得ても。

 

そこから 脚を 引っこ抜くことは、

とても 難しいのです。

 

 

 

そんなこんなで、結局のところ、

またまた 振り出しに 戻ってきてしまった。

 

いまは、そんな気分です。

 

 

そんな中、いま、思うのは、

正解なんかないのかもしれない、

と いうこと。

 

それでも、正解を 探して、

いろいろな方法で、いろいろな角度から、

いろいろな道筋を 辿っていくことが・・・

 

人間としての器を広げ、

魂の進化へ 少しでも 貢献することに

なるのかもしれません。

 

 

ありがとうございます。