神の視界 | ふんわりすとへようこそ!

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エソテリック・ヒーリングの講座で

神尾先生の お話を 伺いながら、

少し 戸惑っていることが あります。


それは、私の中で

『神』 という概念が 薄いこと。


たびたび 出てくる 『神』 という言葉を

うまく イメージすることが 出来ず、

その存在を、感覚で 理解できないのです。


『神』 について 話が 及ぶたび、

私の中で、軽い混乱が 生じています。



さて、それと 関係あるのか、ないのか・・・。


最近、部屋の窓を 開けっ放しにしていると、

虫が 飛び込んでくることが

多くなりました。


虫からしてみると

「想定外の世界へ 来てしまった!」

というところらしく・・・


ガラス戸に 張り付き、一生懸命 歩き回って

外に 出ようとします。



飛び込んできた 虫が

大きめの蜂さんだと、

私も 怖くて 手が出せませんのでね。


ひとりで 無事に 出て行ってくれるよう

見守っているのですが、

脱出は なかなか うまく いかないんです。



あ、そっちじゃないよ!

そのまま進んでも、外には 出られない。

ああ、 あっちの方向に行けば いいのに。


そんなふうに 気を揉んで

見ているばかり。



虫よりも 数百倍? 身体の大きな 私は、

虫とは くらべものにならない

広い視界を、持っています。


だから、彼(彼女?)が どのように 進めば

「外に出たい」という 希望が 叶うのか、

手に取るように、わかります。


けれども、虫さん自身には、

自分の周りの ごく狭い範囲しか

見えていないんですものね。


あちらこちらへ 這って行っては、

とんでもない方向にまで

足を伸ばしてしまっています。



そんな姿を 見守っているうちに、

ふと 思いました。


あ、神の視界っていうのは、

こういうものなのかもしれない・・・。



私たちは 地球上で、

毎日 毎日を そのひとなりに 一生懸命

生きています。


人生の中で

壁にぶつかったことのないひとなんて、

いないでしょう。


でも、それが どんなに 大きな山で

あろうとも。


断崖絶壁に 立たされているように

感じても。


視点を ぐーっと 上げると、

世界は、広がる。


神の視点まで 上げてしまえば、

すべてが 見える。


(本当は、それが すべてなのかどうか

わからないけれど。)


そんな 神の視界からは、

私たちにとっての ‘大変な状況’も、

「あと少しで 目的が達せられるところにいる」

というふうに 見えているのかもしれません。



神尾先生によると、

人間には、‘失敗する自由’が

許されているんですって。


学びの機会が 与えられている、

という意味なのでしょうね。


失敗を重ね、学びを得て、

それでも どうしても 取り返しのつかない

方向へ 進みそうになったとき・・・


神は、歴史の中で、

一矢を 投じて来ました。。。




さて、私が そんなことを

思い起こしているうちに。


窓ガラスで 右往左往していた 虫は、

突然 方向を 変えて、

電球へと 飛びつきました。


あ、こっちが 明るいから、

来たんだ・・・


そう気づいた私が 電気を 消すと、

明るい方向を 求めていた 虫は、

まもなく 窓の外へと

軽やかに 飛び出していきました。



「ああ、どうやったら、

正しい方向に 気づいてもらえるのだろう」


私が 虫に対して やきもきしていたように、

いま この瞬間、神も また・・・


平面を さまよい歩いている私を

高いところから 見下ろしながら、

そんなふうに

つぶやいているのかもしれません。


私が 思いつきで

虫のために 電気を 消してみたように。


神も また、

ほんのちょっとした介入、手助けを

企ててくれているのかもしれません。



特定の宗教を持たない

私には、

相変わらず 『神』の存在が

よく わかりません。


ただ、こんな出来事が 続いたことによって、

『神』というものに 少し

親近感を 持ち始めたところです。



ありがとうございます。