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昨日のブログで少し触れたが、祖父母に溺愛された私は幼稚園年長で不良グループに入り、小学校では一回りみんなより体の大きな番長格へと成長した。「あしたのジョー」に憧れた為か、同級生にちょっかいを出して母が学校へ呼び出されたこともたびたびあった。体育と図工だけは良くできたが、落ち着きがなく情緒不安定だったこともあった為か、小学2年の担任教師から威された。




「特殊学級入れるよ!」




今ではちょっと聞けない言葉だが、この流れも祖父母や両親も一人息子の将来を按じだした小学6年生の頃のあるきっかけで激変し、その後の【人生最高潮の3年間】を経験することになる。


300人に満たない中学生活でのことなのでスケールが小さいが、小学生の時とは一転して勉学に励んだ。やっと勉強をするようになったと言った方がいいのかもしれない。その結果として、テストの成績グラフに折れ線グラフがまともに書けなかったのは知る人ぞ知る伝説だった。業者の3教科統一テストで中部地区17番だったのは、今思うと瞬間最大風速だった。

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勉強机の前に「目指せT大!」と漫画みたいな紙を貼っていて、たまたま遊びに来た友人に見られて恥ずかしい思いもした記憶も。突然襲った【知恵熱】をきっかけとした人生最高潮の3年間は元藩校が前身(こだわり)の進学校入学と同時に起きた【片思いの恋】ともに終息した。


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まじめに過ごし過ぎた反動は本当に怖い。同じ中学だった優香似の女の子に恋をしたことで、勉強が全く手につかなくなり、気がついた時には450人中405番だった。モテる為にはどうしたらいいかと考えた結論が、その頃流行りの【50’Sファッション】だったのが間違いの始まりだったのかも知れない。はじめは見よう見まねだったが、元来努力家だ。高校2年の時には一部金色の混じったリーゼントもきまって、見た目は理想に近くなっていた。




全力の感性で挑んだ恋も実らずじまいで終わった私の青春は傍目にはちょっとした転落劇に写っただろう。


それから20年以上経ち、同窓会で再会を望んだところ・・・


「60歳過ぎるまで、会いたくない。」との悲しい一言が返ってきた。