東北地方太平洋沖地震において犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、負傷された方、被災者された皆様方には心よりお見舞いを申し上げます。
私達が宮城県仙台市を訪れたのは、地震発生のちょうど3週間前。所属する商工会議所青年部の全国大会「みやぎ・仙台大会」参加の為でした。
初めて訪れた東北で降り立った仙台駅の天井が落ち、多くのメンバーが利用した仙台空港、会場となった「夢めっせ みやぎ」、分科会の会場となった気仙沼市、石巻市、塩釜市が津波に襲われ、1泊2日だけでしたが過ごした仙台市では停電や断水などが続いています。
つい最近訪れた都市の地震発生直後の映像や刻々と明らかになる被害状況に声を失いました。
全国から集まった4,000人のメンバーを温かく迎えてくれた宮城県連のメンバーの皆さん。お一人お一人の連絡先を知っているわけもなく、ただ、ただ…、皆さんの無事を祈るばかりです。
甚大な被害状況を目の当たりにして「一体今、自分が何ができるのか?」と悩んでいましたが、家族で話し合い義援金を送る事を決めました。また福井県のボランティア連絡会にボランティア登録しました。すぐに駆けつける事や参加が難しい場合もあるでしょうが、復興の兆しが見えた際には微力ながら、少しでもお手伝いしたいと思います。
そしてもうひとつ…、
2日目の式典終了後に、伊達正宗の霊屋である瑞鳳殿を観光。そこから仙台駅まで個人タクシーに乗車したのですが、その運転手さんが気さくな方でした。(その方は仙台市北部の大崎市の方だと言っておられたので、津波の被害はなかったでしょうが、不便な避難生活を送られているのでは…。)
運:「お客さんどこから?えっ、福井!いつまで仙台に?」
私:「残念ながら今日帰るんです…」
運:「青葉城(仙台城)址は行かないの?ここからすぐ近くなんだけど…」
私:「電車の時間があって…」
運:「それは残念。青葉城址には政宗公の騎馬像もあるし、そこからは市街を一望できる良い場所なの。今度、時間があったら絶対寄ってね。」
あまりにも 気さくな方だったのでいろんな話をしていると、
運:「なぜ仙台が「杜の都」って言われるか知ってる?駅に向かう途中だからちょっと大回りだけど、これだけは絶対見て帰って。」
と我が町を誇らしげに語られるので寄っていただきました。そこは定禅寺通りのケヤキ並木。
戦後植樹され、道路上部を覆うほど成長した4列のケヤキ。「SENDAI光のページェント」が開催されるので有名ですが圧巻の光景でした。
運:「ここのケヤキは一年中楽しめるのよ。夏は緑の葉が通りを覆うし、冬はライトアップされるし。また是非 見に来て下さい。」
幾度となく甚大な被害から復興を遂げています。
時間は掛かるかもしれません、でもその時は、家族を連れて行きますね。
「いつの日か…」
あのタクシー運転手さんと約束しましたから。
しばらくブログの更新休止します。
下記に仙台での思い出をリンクしておきたいと思います。復興の際には多くの方が、「杜の都」仙台に訪れていただきたいと思いますので。