早いもので、あの日から もう五年。
いや、まだ五年かも知れないですね。

あの震災は、ふく花にとっても思いの深い震災です。
あの地震がなかったら、この昭島の地でお店をやって居なかった筈なのです。

あの頃、立川のシネマ通りに物件を見付け
シャッター街支援基金なるものを受ける為、一年待っている時でありまして、その支援基金も正式に受けられる事が決まり、後3週間でやっと全ての契約が出来 工事がスタートする‼︎
と言う嬉しく楽しい時期でありました。

物件は古く 柱を入れ建物自体を全補修しての使用予定だった為、あの大きな地震で 更に建物は傾いでしまう事となり、悲しくも大家さんから契約はなかった事にして欲しいと言われたのでありました。

一年待っている間に、図面を起こしてもらったりと色々と思いを込めてきただけに、当時の落胆はかなり大きかったですね~…´д` ;
しかも支援基金を受ける為に一年待ってしまったのと、その支援基金が受けられる事が決まった直後だっただけに…

慌てて周辺の物件を探しましたが、空いていた物件もIKEA建設が決まり新聞発表が出た後だった事もあり 全て借り手がついた後でした…

思えば、昭島のこの地に来る為に上手く行かなかったのかもと…しみじみ思うのです。

そして
あの地震が普通でなかった事を パートではありましたがまだ働いていた私は  今でも鮮明に覚えています。
大型の機械を動かしていた私。地震が始まり 徐々に長く大きな揺れに変わっていった時、その機械全ての開閉部の扉が音を立てて開き、聞いた事の無い異様な音がして止まり、周りに置いてあった机は軽かったせいで生き物みたいに左右に動いていました。
外を見ると、此方を指差して悲鳴を上げている人多数。ビル全体が物凄い揺れだったそうです。

後から見たテレビでは、悪夢としか思えない光景が連日映し出され日に日に被害が大きくなっていったのでした。

あれから五年。
釜石に昨年、今年とお邪魔出来る機会に恵まれ行って来ましたが、進まない復興を本当に強く感じました。
昨年の港の堤防工事。

今年の港の堤防工事。
同じ場所をまだ工事しているのです。
これが東京だったとしたら、もう終わっているかも知れないと思うと苦しく切ない気持ちでいっぱいです。
仮設住宅もまだまだ沢山あります。
日々 地震も未だに続いているそうで、慣れてしまったと言う言葉には締め付けられる思いでした。

何も出来ないけれど忘れ無い事。
大層な事は出来ないけれど、せめて物産消費で復興支援を続けよう!と思う今日この日。

今日は釜石銘酒 浜千鳥をお安く提供して 支援の足しにと思います。
募金貯金箱も やっています。見かけましたら是非此方もよろしくお願いいたします。

あれから五年。
これからの日本を真剣に考える時ですね。

亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。
合掌。