最後だとわかっていたなら/ノーマ コーネット マレック
平均寿命までの差が、残りの時間ではない。


わかっていても、ほんとうに実感していなかった

7月28日に駅で倒れて、私立病院から大学病院へと移送され
激痛の中で、医師から言われた
「不幸中の幸いというより、チョ~ラッキーですよ」


もし一人でいたら、電話もできないし、
もしかい離部分から出血していたら、
どうなっていたか・・・


それくらい危なかったらしい


大動脈かい離

かい離部分が、肩口から腰のあたりまで長く
どこが破れてもおかしくない状態だったそう


入院して2日目くらいだったか
痛みの中で思いだしたのが
何年か前、話題になった
「最後だとわかっていたなら」という詩。


倒れる少し前に、この本のことを
北斗晶さんがブログに書いていたことを思い出した


今年は、後半の半年、なにもできなかった

けど、再びいただいた
「この命、何のために使うか」


生かされていることに、
心配してくれる人がいることに、
心から感謝して、
1日1日を精一杯生きる


そう決意したのに・・・

日々の生活の中で、体が思うように動かないと
イライラしている


今年もあと11日
あらためてこの詩を読んでいろいろと考えました






「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦




あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



サンクチュアリ出版ホームページ
より