新荘棒球場 | ふじものブログ

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台湾3日目。

明日の朝便で帰るので実質今日が最終日。

羅東のアマの試合と新荘のナイターの試合の2試合観戦を考えていたけど、毎日暑い…。

羅東の球場は屋根がないし、座席もコンクリむき出しのよう。なにより遠いので、せっかくのホテルの無料朝食を放棄して、斗六6:57発の自強号に乗らなければならない。 

昨夜の試合が遅かったのもあったので、結局今日の昼間は観光に切り替え、観戦は新荘の1試合だけにすることにした。


おかげでホテルの朝食をゆっくり楽しむことができた。

香料の効いた煮物、馬拉糕、小さめのジーパイなど台湾らしいものあっておいしいし、朝食会場からの眺めもいい。ここは多少値段が張ったけど、泊まってよかった。

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 ベタだけど、観光は猫村として知られている侯硐と、ランタン上げで有名な十分へ。

斗六7:44-(自強108次)→8:19彰化 
彰化8:31-(区間2146)→8:41新烏日 
台中9:08=(高鉄1210)=9:46板橋 
板橋9:55-(区快4026)→10:51侯硐 

 細かく乗り継いで侯硐へ。
自強号は新型の3000型、 



新幹線は指定席が満席だったので自由席へ。すごい行列だったが、なんとか席にありつけた。



 侯硐10:51着。
ホームは濡れていて、雨が降ったよう。山峡の街でそんな天気も相まって肌寒い。
改札を出ると乗客と駅員がなにやら話合っている。
案内を見ると衝撃の事実が

十分へ行く平溪線は大雨で運転を見合わせているのだそう。駅員に聞いてみたが、終日再開の見込みはないとのこと。
…がっかり。これなら最初から羅東に行ったほうがよかったやん。
Uberでタクシーを呼ぶことも考えてみたが、日本円で8,000円ぐらいするし、13時の試合開始に間に合うかどうか微妙なところ。
結局無理はせず、この侯硐で折り返すことにした。

そんなしょぼくれた心を癒してくれたのはネコちゃんたちだった。


跨線橋を渡って猫村と呼ばれるエリアに行くともうそこらじゅう猫だらけ。
しかし猫も人間のほうをよく見ていて、エサをくれない人間には無関心(エサはあげてはいけないことになってる)。
そんな中、1匹の猫がやたらと遊んでくれた。僕の心を見透かしたように癒してくれるいいヤツだった。
猫にまつわるお店はいっぱいあったけど、地震のせいなのか天気が悪いせいなのか人がまばらでやや入りづらい。結局ネコ形のパイナップルケーキを売ってるお土産屋さんに入っただけで12:07の列車で台北に引き返すことにした。

このままホテルに向かってもチェックインの時間にはまだ早い。台北駅の1つ先、萬華で下車し(13:07着)、昼食を取りがてら龍山寺にお参りしていくことに。

この界隈で有名だという福州胡椒餅を覗いてみたら、拍子抜けするほど人がいなかった。ホントは開店前から行列ができるほどの店らしい。


昼飯前だけど、1つだけ買って近くのベンチで食べる。中はスパイスの効いたお肉がたっぷり入っていてうまい。


が、このベンチ周辺の様子がややおかしい。汚ない服装の人が多い。
そのうち普通の身なりをしたおばさんが現れると、ベンチにいた人が続々と立っておばさんに集まる。おばさんは布製のでかいバッグから個包装のパンを取り出すと次々と手渡しだし、様子を見ていた遠くのお年寄りたちも群がってきた。
そのパンを配りながら向こうのほうまで行くと、今度は蛍光色のビブスを着た清掃員と、制服を着た警備員に咎められ、大声で何か言い合っているのが聞こえてきた。

どうやらこの龍山寺は観光名所ではあるけれど、ホームレスをはじめとしたお金のない人たちの溜まり場にもなってるよう。そんな中で僕らは55元もする、肉の入ったパンを食べていたのだ。いったい彼らにどんな目で見られていたのだろう。




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その後、Google mapで調べた「一心鵝肉」という店に入って昼食。
日本語メニューがあって「粄條(きしめん)」というのがあったのでガチョウの粄條を食べた。
妻は茄子と青菜炒めとご飯。2人で220元
ここの名物は鵝(ガチョウ)と鴨(アヒル)。
麺も、ただのスープと拉麺(ラーメン)と、米粉(ビーフン)と冬粉(春雨)とこの粄條(きしめん)がある。

粄條はメニューに「きしめん」とあったものの、名古屋のきしめんと違って弾力があってなかなか噛み切れない。日本語メニューに便宜上「きしめん」と書いてるだけできしめんとは全く別物。モチモチで独特のおいしさがある。ガチョウは骨が多いが、その骨は広告紙で作った折り紙のような箱にペッと捨てる。

ここのもう1つの名物はワンちゃん。
少し頭を撫でてあげただけなのにすっかりなつかれてしまった。今日は動物デー。

このあとようやく龍山寺参拝。人の集まる場所だけあってお寺も含めて色んな人間観察が楽しかった。
参拝後は地下鉄を乗り継いで幸福駅近くの幸福讚精品飯店にチェックイン。
幸福駅まで乗った新北MRTは地震の影響で運転区間も本数も限られていたが、幸い利用の区間には問題なかった。

▽幸福讚精品飯店




部屋は3ベッドだった。とても広くバス/トイレもセパレート。
アメニティだけでなくコーヒーやお菓子も充実していた。agodaで7,874円。朝食なしだけど、部屋だけ見ればこの3日間で一番いい宿だった。

15時にチェックイン。
ひと眠りした後、17時に徒歩で球場に向かった。

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市街地を20分ほど歩くと球場のある大きな公園の北東端に出る。
Google mapで普通の陸上競技場に見えたところは市民にも広く開放されていて、みんな健康のために歩いたり走ったりしていた。
カラオケやそれに合わせて踊っている人もいる。


そんな中を通って球場へ。


▽球場外観


チケット売場へ。
日本人であることを告げると窓口のおねいさんはシートマップを片手に案内してくれた。
すでにバックネット裏も応援席も売り切れのようで、応援席にほど近いB7ブロックを案内された。1人400元。クレカ可。



グッズショップも覗いてみる。かなり立派でスタイルのいいおねいさんがにこやかに話しかけてくる。ここだけじゃないけど、韓国も台湾もアパレルの店に入ると昔の日本のように店員が付いて回ってくる。何も買わなかったけど。


中へ。
コンコースにはお店がズラリ。ソトに比べると多少値段は張るのかもしれないけど、見てるだけでワクワクする。



そんな中妻はパスタのどんぶりを、僕はジーパイの便當を買った。160元と119元。クレカは使えない。



あと試合中には鯛焼きも買った。台湾の台湾はガワが付いてるのでちょっとオトク?中はクリーム

ファミマもあったが、ここもクレカは使えなかった。悠遊卡は使える。


▽球場全景
両翼325中堅400照明6基

スタンドは二層式。
チアは1・3塁両側のステージに配置され、ビジターの中信ファンは外野での応援となる。


球場は古いがかなり手が加えられていて、コンコースを歩いているだけでもワクワクする。そしてファウルエリアが狭いせいかここは選手が近く感じる。オススメしたい球場。

試合は予定より1分早い18:34に始まった。

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∇今日のスタメン
【中信兄弟】【富邦悍將】
(二)岳東華    (二)李宗賢
(中)岳政華    (遊)池恩齊
(右)陳子豪    (中)申皓瑋
(指)許基宏    (一)范國宸
(一)蘇緯達    (左)王正棠
(左)曾頌恩    (指)高國麟
(三)王政順    (三)辛元旭
(遊)楊祥禾    (捕)戴培峰
(捕)徐博瑋     (右)孔念恩
(投)徐基麟     (投)羅戈


PL陳均瑋 1B吳家維 2B范元淦 3B紀華文


▽試合
中信6ー2富邦(18:34~22:01 観衆5128)

中信 020 030 010=6
富邦 000 000 200=2

中信兄弟)徐基麟6-呂彥青1-李振昌1-王凱程1

富邦悍將)羅戈4-藍愷青1-江國謙2-李建勳0.2-張瑞麟1.1

2表に王政順のタイムリーで先制した中信が、5表にも同じ王政順のタイムリーで効果的な中押し点。終始うまいゲーム運びを魅せた中信が快勝した。
昨日に引き続きホームチームが負けてしまったけど、5年前天母で見た李宗賢、范國宸が再び見れて嬉しかった。前回は郷愁をそそるトランペットでの応援だったが、今回は本場のチア付きの応援を見れて感動した。

試合終了22:01


ビジターチームの中信ナインがちゃんと外野のファンに向かって挨拶してるのが素晴らしかった。日本ではビジターチームの遠征最終戦でしか見られない光景。

帰りも25分ぐらい歩いて幸福のホテルに戻った。22時も過ぎてるのにどこのお店もよく流行っていて、車工場はどこも明かりがついていた。みんなよく働くし、よく食べる。

翌4/19は早朝から移動し、行きと同じく桃園空港9:00のタイガーエアで中部に戻った。
保安検査場内のレストランでは麺類300元、魯肉飯200元の店に出会った。日本円で1400円と1000円ぐらい。中部空港の「天婦羅きしめん2000円」の意味がやっと分かった。高いのは分かってるけど、楽しかった旅のシメに食べたくなるのだ。
出発ロビーでは強制送還される外国人のグループに出会う。みな普段着だけど、腕には2人1組で手錠。
手持ちの残り現金4426元。悠遊卡の残額73元。結局両替した4000元は使わなかった。

この日の台北の気温23℃/20℃。
雨も降って寒かった。Tシャツの人もいるが、みなGジャンなどのブルゾンを羽織っていた。キャンプの頃の沖縄も雨が降ると寒い。それに近い気候だった。夏ならいいが4月は長袖必携。

去りがたし台湾。まだまだやり残したことも多い。またすぐにやって来たい。