無用の長物「釜石湾口防波堤」の再建についてニューヨーク・タイムズが批判記事 | サンフランシスコ綴り by fuhito shimoyama

無用の長物「釜石湾口防波堤」の再建についてニューヨーク・タイムズが批判記事

あっという間に11月ですね。気候のせいもあってか、今年があと2ヶ月だという実感がなかなか湧きませんでした。ブログもずっとサボリ気味。あれも書きたい、これも書きたいと思いつつその機会を失い続けていました。
が、本日こそは、実行に移さねば。

東日本大震災が発生してからもうすぐ8ヶ月。「がんばれニッポン!」だの「日本再生」だのと盛り上がっていた間に、着実に現実的な復興プランは練られていっていました。最近になって、3次補正の震災復興経費は9.2兆円と計上されましたが、その内訳について、私たちはどれくらい知らされているでしょう。「復興」といいますが、日本の目指す復興とはどんな形なのか。戦後と比べられることの多い今回の震災ですが、時代は違います。今の時代に即し将来を見据えた復興、そして真の意味での再生はなされようとしているのか。それとも戦後辿った道程を再び辿ろうとしているのか。被災地発の記事が「●●商店が再開」といったものばかりの中、11月2日付のニューヨーク・タイムズが「日本は街を守れなかった釜石の防波堤を再建させようとしている」と題し、湾口防波堤再建に絡む国交省とマリコンや地元有力者の癒着を取材した長文記事を掲載しました。今の日本はどうやら「再生」からはほど遠く、相変わらずの癒着構造が弱った日本をさらに痛めつけている状況のようです。

まず、釜石湾口防波堤について。これは約30年の年月と1200億円以上の経費をかけて、2009年に完成した防波堤です。過去に何度も津波に襲われた釜石の人々を守るだけでなく、産業誘致をも目論んで建設されました。南堤と北堤の2本とその中央にある300mの開口部をすべてあわせると約2キロにも及ぶ巨大な防波堤。これが他の防波堤と異なるのは、ギネス記録にも登録された63メートルの水深です。水深63メートルのところに砂利を積んで、土台を作り、耐震設計されたケーソンを置いて作り上げたわけですから、これは釜石市の、そして国交省の誇りでした。国交省は「これがあれば釜石は安全。人々の命と財産を守る湾口防波堤」と「100年の守り」という歌まで作りました。(くわしくは釜石港湾事務所のサイトへ)

しかし、100年どころか、完成から2年。3月11日の大津波で、この世界最水深の防波堤はあっけなく崩れてしまいます。釜石市がどうなったかはテレビ報道などで周知のとおりです。防波堤があるから安心と、逃げなかった結果、亡くなった方も多くいらっしゃったと聞きます。

ところで釜石市というのは興味深い街で、古くは鉄の街として栄え、新日鐵が高炉を持っていました。井上ひさしの母、マスさんが当時の釜石はとても国際的で「東北の上海」と呼ばれていたと書いているようにとても賑やかな街だったんですね。東京からエリート新日鐵社員たちが訪れることも多く、花街まであったんです。しかし、新日鐵が高炉を休止してからというもの、人口は60年代の10万人をピークに減少し続け、今では4万人弱といいます。平地が少なく高台が迫っている地形なので、高台の住宅には大きな被害はなく、被害のほとんどは港近辺だったとのこと。また、「釜石の奇跡」に知られるように、避難所への階段が整備されていたりして、他地域に比べると高台への避難もしやすい場所のようです。

ならば、香港島のヒルサイド・エスカレーターのようなものを作って(もちろんジェネレーターも!)高齢者でも高台に早急に移動できるようにすれば?あるいは海辺に住む人たちに集団移住してもらったら?人口減少と産業空洞化の最先端を行く東北地方で今後新たに守るべき産業がどんどん進出することは望み薄ですし、そもそも今回の津波で、期待されていた役目を果たすことができなかったものを550億円もかけて作り直すよりも効率的なんじゃないか、なんて思ってしまいます。が、さっさと(そしてニューヨーク・タイムズによると密かに)再建が決まりました。

その決定の根拠となったものに、3月末、地震から数週間後に港湾空港技術研究所という国交省管轄の組織(つまりは天下りの受け皿機関)によってまとめられた報告書があります。防波堤があったから津波を6分遅らせることができた、というものです。しかし、この報告書についても、ニューヨーク・タイムズは胡散臭さを指摘しています。記事中では、湾口防波堤建設に携わった地元の有力者の「国交省とべったりの機関が湾防は全くのムダ遣いだったなんて認めるわけがないじゃないか。中立な立場で調査する必要がある」とのコメントを掲載しました。

そこで先月のこと。国交省からは独立した組織である海洋研究開発機構(JAMSTEC)の上席研究員石田瑞穂博士は「釜石湾口防波堤は津波第1波の衝撃を弱める効果も、津波到達を遅らせる著しい効果も見られなかった」という研究結果を報告しました。このことは10月20日付の日経新聞にも報道されていました。石田博士によると、沖合い20メートルのところで観測された波のデータだけを元に計算しても、推定値を変えれば結果が変わることは避けられないとのこと。つまりは、「どんなに詳細に分析しても、実際に何が起こったのかを結論付けることは不可能」だというのです。港湾空港技術研究所の調査結果も、完全ではないということになります。不思議なことに、JAMSTECは、この記事が掲載される直前、そしておそらくは石田博士がインタビューされた後の10月31日に「釜石湾口防波堤は津波を軽減するのに効果があった」という港湾空港技術研究所と同じ計算結果をホームページ上で報告しました。

湾口防波堤再建の2つ目の根拠は、地元釜石市民たちからの要望、ということになっています。が、これも怪しい。野田釜石市長は、NYタイムズのインタビューに「やはり防波堤の存在が人々に過度の安心感を与えてしまったのではないかと思う」と答えたのですが、その後自身の義父で地元の有力者に「防波堤が効果がなかったというのではなく、どれだけ効果があったかを言え」と圧力をかけられ、その後、防波堤再建の要望書を提出することになります。

しかし、釜石湾口防波堤の存在は、もっとショックなことを引き起こしていました。

湾口防波堤が釜石湾をブロックするために、反射波を別の地域、両石湾の両石地区と、釜石湾の北側に位置する仮宿地区に送ってしまった、というのですね。釜石に湾口防波堤ができたら、そこでせき止められた波が両石地区へ反射し、両石の津波は20%増えるだろうという調査が70年代になされました。釜石に湾防を作るなら、両石にも防潮堤を作る、というのが条件だったそうです。実際、今回の津波の高さは釜石に到達したものの2倍の高さがあったということです。両石地区は230軒中15軒を残して壊滅しました。(NYタイムズのサイトにはそのときの様子を移したビデオもあります)

両石の町内会長瀬戸さんは、「湾口防波堤の両石地区への影響をきちんと検証してほしい。それをせずに再建を始めることには反対」と言います。当然でしょう。国交省の天下り組織、港湾空港技術研究所は検証をしていませんし、今後もする予定はないとのこと。その理由を、復興構想会議のメンバーでもある河田恵昭関西大学教授は、「港湾空港技術研究所にとって、検証することに何のメリットもない」からと言います。

これらすべての背景にあるのが癒着構造ということでしょう。旧運輸省の湾防担当者が東亜建設に天下り、結局社長にまで上り詰めたというエピソードも紹介されていましたが(松本元社長はボケと鬱を理由にNYタイムズのインタビューを断ったそうです)、癒着は国交省と大手マリコンのみならず、地元政治家や地元の企業経営者の間にも根付いています。将来を見越して復興計画を立てるのではなく、利権を狙う各々がこの困難な時を、今とりあえず仕事を生み、雇用を増やして乗り切ろうと考えているのでしょうか。コンパクトな街づくりを提案する中央電力研究所の林直樹氏は記事の中で、このような復興計画が進んでいくと「30年後に残るのは立派な防波堤と空き家だけ」と言っています。(ちなみに釜石市は新しくラグビースタジアムも建設し国際試合を誘致しようとしているそうなので、防波堤と空き家とラグビースタジアムが取り残されることになります。)その通りだと思います。そしてそう考える人たちは少なくないと考えます。それでも、国は、NYタイムズが言うところの「white elephant(無用の長物)」の再建に向けて多額の国費をつぎ込もうとしているのです。

記事の最後は、国交省釜石港湾事務所の村上明宏氏の「正直言って、こういう大きな事業をしようとすると、あちこちから言いがかりをつけられるんですよ」と言い、1200億円かけて作られた湾口防波堤を「(両石など他の地域に)迷惑をかけるような大それた建造物じゃありませんから」というコメントで結んでいます。

ニューヨーク・タイムズの記事はこちらへ。湾防ソング「100年の守り」や釜石湾と両石湾を襲った津波の映像も見られます。