流原蓮次です。
 この度僕は、風男塾を卒業することを決意しました。
 皆様、長年応援していただき本当に有難うございました。
 僕は一時期よりだいぶ回復し、日常生活にはなんの支障もないほど元気になりました。
 しかし、現段階では過酷な運動に対してドクターストップがかかっており、ライブ活動を行うことが厳しい状況にあります。
 日常生活は出来ても、ライブが出来ない。
 “ライブに参加来ない”この事態は、風男塾のメンバーとしての、核である本質を失った。に等しい。と僕は捉えました。
 風男塾は、歌でみんなを元気にするということを念頭に置き、活動しているグループです。
 歌が素敵だから風男塾を応援している。と言ってくださるファンの方々の支えがあり、ここまでこれたと思います。
 ファンの皆様が明日への活力にしてくれている歌。そして歌を直接伝えるライブ。
 ライブが出来ない。と医師からジャッジが下された段階で、頭の中に過ぎった選択肢は一つでした。
その答えがケジメとしての卒業です。
 僕が敬愛する哲学者・キルケゴールのこんな逸話があります。
 キルケゴールには心から愛するレギーネという女性がいました。
 キルケゴールとレギーネは婚約を果たし、将来の展望について語り合っていました。
 幸せな家庭を築きたい。子供は何人くらい欲しい。と明るい未来に満ち溢れていたのです。
 しかし、ある事実が発覚し、そのような夢は叶わないものとなってしまったのです。
 キルケゴールは不妊体質であり、レギーネと結婚しても子供が宿ることはないことが発覚したのでした。
 キルケゴールは悩みました、そして悩みに悩んだ末に、レギーネに婚約破棄を言い渡します。
 キルケゴールは生涯を通し、もう会うことのないレギーネを愛しつづけました。
 別れた末に、たくさんの哲学書を書き、自身の遺産がレギーネに渡るよう、レギーネが一生、生活に困らないよう遺言を残し、生を全うしたのです。
 愛するが故の決別。
 卒業を決めた時、キルケゴールのこの逸話が過ぎりました。
 風男塾の歌にはたくさんの生きることへのメッセージが詰まっています。
 ライブに参加出来ないということは、歌が歌えないということ。
 僕はそのメッセージが偽物になってしまうような中途半端な真似はしたくありません。
 風男塾の歌を聞いて、本気で涙してくださる方々。
 ライブ活動に本腰をいれ挑むメンバー。
 僕にとってかけがえのない大切な存在です。
 ぶっちゃけ、ユニットにいてプラスであったり得することは多々あります。
 しかし、一時的な利益、プラグマティブな目先の利益を捨てずにメンバーで居続けることは、一人間として選ぶべき道では無いと決心しました。
 人生には片道しかありません。一度過ぎた道に、二度と戻ることは出来ないのです。人生がいつまでも続くように感じるのは、ただの錯覚です。
 人間、死期が不確かなだけで、死は確実に訪れます。
 一度進むと二度と戻れない人生の中で、悩んでいる暇など無く、考えながら走り続けなければ目標に到達できないほど過酷なものです。
 僕には死ぬ直前までに果たしたい目標がたくさんあります。その目標を果たすための、明確な人生設計もあります。
 その為に哲学を勉強し、生きることの意味を必死に考えてきました。
 人生という大きな尺度から見ると、失敗や挫折は到達点ではなく、通過点に過ぎません。人間万事塞翁が馬。
 人生が幸せであったかどうかのジャッジは死ぬ間際までわかりません。
【死ぬ間際に、生まれ変わるなら、自分自身でもう一度そっくりそのまま繰り返したいと思える人生を生きよ。byニーチェ】
 僕はこの言葉が大好きです。
 中途半端な自分を愛せるか?妥協だらけの時間をもう一度繰り返せるか?僕なら絶対嫌です。
 死ぬ間際に、もう一度繰り返したい!と思える味わい深い人生は、自分自身でないと作ることができません。
 メンバーと道順が違えど、これからの人生も回遊魚のように立ち止まらず大きな目標を追い続けます。
 自身の在り方をもって証明できるよう誤魔化すことなく、信念を貫き通します。
 風男塾を支えてくださるファンの皆様、僕は今シングルで卒業となりますが風ベントは出来る限り参加致しますので、お会い出来れば嬉しいです。共に楽しみ魔性!


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                      2013年9月8日 流原 蓮次

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