襟元正す | ふ〜ふの交換にっき

ふ〜ふの交換にっき

柴田楓と内田彩菜が交換にっきをやってます。

「をいをいをい。」

と言われてしまうようなことを言いますと、


本当はブログを書くこと、好きじゃない。

頼まれてもいないのに、自分の思いを吐露する。自己顕示欲のかたまりのようで嫌なのです。

だけども、こうして書いているし、「ブログやろう!」とか言い出したのはわたしだったりする。

う~ん。むぢゅんむぢゅん。

だけどね、どうして嫌だって思うかって、実際そういうきらいがあるからなんだよねえ。。。

嫌だって言いつつ、見てもらいたい。読んでもらいたい。自己顕示したい。でもなんだか、嫌なのだ~という葛藤が日々わたしの中にありまして、

どうしても更新が遅れてしまいがちなわけです。(厨二病かよ。苦笑)

><(かえちー迷惑かけてごめんね!長々言い訳したよ!笑)




とまあそんなことはさておき。

先日、いい言葉だなあと思ったものがあったので紹介します。

(さっそく現る自己顕示欲!)


今は亡き、四代目桂米團治師匠のお言葉に

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに

酒が良いの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、
むさぼってはいかん。

ねうちは世間が決めてくれる。
ただ一生懸命に芸をみがく以外に世間へのお返しの途は無い。

また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

というものがあります。

うん、うんうんうん。
ただただ頭が下がる思いで、私の頭何キロあるんだよってくらい重たいです。

こりやあ、響いたね!頭にグサッと。(落ち武者かよ)

ほんとそうです。
わたしのやりたいことは生きるために必要なお米を育て上げることもなければ、寒さをしのぐ衣服を作り上げることもない。芸とはあくまで「娯楽」なのだから。(二次作用として衣服や食べ物を作るサポートができる日が来るかもしれないけれど今はそこには触れないでおくっす)


3年前、うちの大学の教授が言っていた。
「芸術とはあっても無くても生きていけるものだ。ですから食うことに必死だった時代は芸術なんて馬鹿にされ、除け者にされたもんだ。でも、今は世の中、豊かになった。これからは芸術が必要とされる時代になるよ」

大学一年の時に聞いたこの言葉、まだやさぐれ気味のわたしでしたが、

やっぱりこの言葉も頭にグサッと刺さりました。(落ち武者セカンド現る)


芸術は定義もなければ、決まりもルールもない。形のないものだ。
そんなもんで喰っていこうと思うこと自体、無謀なのだと思われるのかもしれない。
(実際に周りの人たちから「え~っ」て反応をされる。ごもっとも。)


でも形のないものほどわたしの目には魅力的に映る。
今はまだ分からないけれど、少しずつ何かを築き上げていくことができたら
咀嚼をして自分なりの解釈ができたら…

いいな。笑


値打ちは世間様が決めてくださる。

芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前。


日々の幸せ(素敵な家族に囲まれて過ごす余生)を目指して生きていくのなら、

芸の道は選んではいけない。できるだけ挑戦するものは減らし、リスクの無い道を取るのがベストだろうと思う。それが幸せへの道だね。

でもその幸せの道を捨てでもやりたい芸があるのなら
挑戦する価値は大いにある。



老後をひとりで過ごす寂しいばあさんで孤独死するかもしれないけど


芸で生きていきたい。

う~ん
ギャンブルだ。ギャンブル!

最後に小指の立った...

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プリチーかえちーとキムチ鍋なう。