2016.07.16~08.31 石の話(その1) | 『一人暮らしの猫飼い』

『一人暮らしの猫飼い』

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2016.07.16~08.31 
●石の話(その1)
7月16日、その日は東京ドームで都市対抗野球を観戦していた。
第三試合の途中で、球場を後にして電車で帰宅したのだが、左わき腹にごく小さな痛みを感じた。
その痛みは、Tシャツの内側に小さなトゲが潜り込んでしまったかのような小さな痛みだった。
歩いていても特に支障のない程度の痛み、暑い一日だったので、多くの水を飲んでいたので、もしかしたらお腹を冷やしてしまったのかとも考えていた。

家に着いたのは午後8時過ぎだったと思う。
ミシェル♀とすえ吉♂に夕食を与えて、自分も夕食を摂ったが、左わき腹の痛みは徐々に大きくなっていた。
腹痛以外に、寒気、吐き気、頭痛等、特に問題のない状況で、何が原因か考えては見たものの分からない。
単純に風邪をひいてしまったのかとも考えて、その日は早めに寝ることにした。
何か悪い物、痛んだものをを口にしてしまったかとも考え、トイレで無理やりにでも吐き出そうかと考えたが、吐こうにも何も出てこない。

11時前、腹痛はより大きく、左わき腹、当初より痛みの部分は上から下に伸びてきている。
横になって、早く寝ようと考えてはいたものの、寝付けない。
仰向けになっても、横を向いて左右どちらを向いても痛みは無くならず、その痛みは大きく、脇腹の部分が下に伸びて痛みが大きくなってきた。

横になりながら、携帯電話から検索する。
腹部の痛みの原因は何か?。
検索しながら、盲腸、虫垂炎かとも考えたが、体の右側ではなく左側の痛み。
盲腸ではないようだ。
痛みがどんどん大きく、長くなっていく中、すでに日付は替わっていたはずだが17日日曜日の0時過ぎ、痛みは限界に近付きつつある中、携帯電話から夜間診療の対応できる病院を探し、最寄り駅から1駅先のT病院をみつけ、電話する。
状況を伝えて、これから向かうので、受け入れが可能か?。
電話で私の痛み、状況を伝えたが対応した方では、正確には診断できないので、詳しくは来てからとの事で、夜が明けるのを待たずにT病院に向かうことにしたのだが、もしかしたら、診察ののちにそのまま入院、一泊しないまでも、帰宅がその日の午後、夕方、夜になる可能性もあるかもしれない。
留守番となる、猫たちの事を考え、身支度を済ませた後、猫のトイレから、排泄物を取り除き、猫砂を補充し、水も入れ替えた。
気休めでしかなかったが、長期入院となったらどうするべきか・・・。
残念ながら、そこまでの気力がなく、財布と保険証を持って部屋をでた。

いつもなら、3,4分で行ける駅前ロータリーのタクシー乗り場。
その時ばかりは、10分以上かかったと思う。
救急車を依頼した方が良かっただろうか、そんなことも考えたが、どうにかタクシー乗り場に着き、T病院の夜間入り口まで。
タクシーの車中。
徐々に腹痛が大きく、長くなり、運転手さんにお願いして、タクシーの後部席で横になった。
横になっても、脇腹の痛みは変わらなかった、起きていてもどのみち痛みは避けられなかっただろう。

病院で受付を済ませ、待合室で名前を呼ばれるのを待ったのだが、そこでも長椅子に横たわった。
横たわっても痛みはなくなることは無かったが、起きていることが出来ない状況。
女性の看護士さんが来て、名前を呼ばれるも、返事すらできず、かすかに左手を挙げてる。
看護師さんに支えれれて隣の部屋に。
痛みのあまり、起きていることが難しく、ベットに案内され横になる。
日付が変わる前、帰宅途中から痛み出した脇腹の痛みを伝える。
少しした後、男性医師がやってきて、脇腹、背中、腰の触診をしながらの問診。
看護士さんからも話が伝わっていたらしく、所見は『結石だろう』とのことだったが、レントゲンとCTスキャンを撮ったうえで改めて確認。
今までに、結石を経験したことが有るか、また別の病歴が有るか聞かれた記憶があるのだが、はっきりと思い出せない。

痛みの原因が、“結石”だと聞いて、いくらか安心もしたのだが、私の脳裏には、俳優、伊東四朗の顔が浮かんできた。
先日のブログ記事で紹介した、ラジオ番組(伊東四朗・吉田照美親父熱愛)の中、以前に伊東四朗が経験した結石の事を話して居たのを思い出した。
私はテレビを見ない生活を5年前のデジタル化の未対応以来、その前からほとんどテレビを見ない生活をしていたので、今現在70代の伊東四朗の顔ではなく、伊東四朗の50代のみの顔しかインプットされていなかった。
四角い、“伊東四朗の”形相で、頭の中で“痛いのなんの”、“痛いのなんの”と、エンドレスで迫ってきた。


点滴と座薬を入れると説明を受け、先ほどの看護士さんに対応してもらう。
半ズボン(とその下のトランクス)を “半ケツ” の状態までおろして、座薬を入れてもらったのは、恥ずかしさより申し訳なさの方が強かった。
右腕に点滴を刺し、その後車いすを用意してもらい、病院内を看護士さんに押してもらいながらの移動。
その間も、朦朧としながら、頭の中では、伊東四朗の形相で、“痛いのなんの”とエンドレスで迫ってきた。

どちらを先に対応したか、記憶も定かではないのだが、レントゲンとCTスキャンを撮り、改めてベットに戻り、横になって待つ。
(その間も、脳裏に迫る、伊東四朗の形相にうなされていた)
しばらくして、先ほどの医師に呼ばれ、レントゲンとCTスキャンの画像を見つつの説明。
腎臓と膀胱の間にある、管に10㎜程度の石が有り、尿管結石。
石は1つだけ。
膀胱に到達後は痛みが引く。
その後は、膀胱から尿と一緒に排出されるまで様子を見ることになる。
そんな内容であった。
食後に摂る飲み薬の錠剤、1日3回x3日分と、痛みがひどい時のための座薬を処方してもらう。
平日に、どちらかの病院、泌尿器科で改めて診察を受けることを勧められる。
その日のT病院での診察は、これでひとまず終了となったのだが、女性の看護士さんから言われた言葉は、正直ショックだった。
『それでは、お引き取りください。』

一応は、痛みの原因が判明し、薬を処方してもらったが、前の日から寝ていない私は、座薬でいくらかましになっても、立っているのもやっとの状態。
時間は深夜(早朝というべきか)午前3時半過ぎ、出来たらベットで寝かせてほしい と、お願いしたのだが、看護士さんも困った顔をしている。
ベットは空いているが、急患がいつ入っても良いように、出来るだけベットは空けておきたいとの説明だった。
こちらも、立っているのがやっとだったので、何とかお願いして午前6時前、ベットに寝かせてもらうことになった。

午前6時ちょうど、女性の看護士さんに時間通りに起こされ改めて薬の説明を受け、清算を済ませて病院を後にする。
日曜日の早朝、午前6時過ぎ、T病院は幸い駅から徒歩3分程、駅の改札はすでに相手は居るものの、始発まで10分ほどあった。
改札を通り、始発電車の到着する前に、自販機でペットボトルを1本購入してちびちび飲む。
しばらくは、水分を多めに取らなければならない。
以前に、コーヒーに利尿作用があると聴いたことが有る。
そういえば、最近コーヒーをあまり飲まなくなったのが、要因の一つかもしれない。
始発電車がホームに入線し、一駅3分程度の乗車で帰宅する。

部屋に戻ると、ミシェル♀とすえ吉♂が、起きて待っていた。
一晩、留守にして猫だけで留守番をさせたのは、だいぶ前の話。
こんな、ニンゲンでも猫たちにとっては、頼る事の出来る唯一のニンゲン。
けがや病気はしないに越したことは無い。
猫用に、朝食を用意してようやく横になった。
特に目覚ましもセットしていなかったが、昼過ぎまで横になった。

その日の午後、よせばいいのに、外出した。
東京ドームまで、都市対抗野球 1回戦のJR東日本対王子戦を観戦するため。
(その試合、1回戦16試合の中で、1番見たい試合だった)


ブログ記事、冒頭の写真は、2003年に出版された、『この顔で良かった!』(集英社be文庫)のカバー写真。

 
角ばった顔、“伊東四朗の形相”が、私の脳内でエンドレスで迫ってきた。

“痛いのなんの”