【悠樹編・只今ラブコメ勉強中②】Resisters Quartet【43.5】 | あるひのきりはらさん。

【悠樹編・只今ラブコメ勉強中②】Resisters Quartet【43.5】

キャラクターや世界観を再利用・再構築して、戦隊ものっぽい物語を書きたくなったらしい。
普段は2回で1話ですが、ここからしばらくは1話完結の外伝です。本編では中々フォロー出来ない各キャラの日常や裏話をお届け出来ればと思っています。
ブログへの小説更新って実はちょっぴり否定的だったのですけど、これなら続けられる……と、いいなぁ。
コメント等、お待ちしております。

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 ――『君』は、誰だ?
 俺は『誰か』に問いかけている。
 靄の向こうにいる『君』の顔がぼやけて、見えなくて……俺は必死に手を伸ばす。
 でも、届かない。

 ――行かないでくれ。
 そう強く思った。
 『君』は俺に背を向けたまま、透明な声で問いかける。

 ――『これ』は、誰?
 そんなの分かっている。
 普段通りに呼んだ名前、でも、『君』は首を横に振る。

 ――『これ』は、どっち?
 それも分かっている、だから、さっきから呼んでいるじゃないか。

 ――違う、そうじゃない。
 『君』は首を横に振る。
 どうして伝わらないのか、俺の焦りが嫌な汗になって、ボタボタと足元へ落ちていく。

 ――『これ』は、どっち?
 もう一度同じことを問いかけられ、俺は――


「……香澄……」


 久しぶりに、彼女の名前を呟いた。


「……い……せ……奥村先輩!!」
「っ!!」
 刹那、焦ったような樋口の声に意識が引き戻され、覚醒する。
 そして……体中を包む寝汗の湿っぽさに、自分でも驚いてしまった。
 和室の電気をつけて俺の顔を覗き込んでいた彼女が、目覚めた俺を確認して、ホッとした表情になる。
「良かった……大丈夫ですか? なんだか、ひどくうなされていて……というか、汗が凄いんですけど……」
 そう言って、自分が羽織っていたタオルケットを差し出す。俺はその申し出を辞退して、とりあえず上体を起こし、自分の手で額に触れてみた。
 指先にはっきりと汗の粒を感じる。この和室はクーラーもあるので、寝苦しくない温度設定で眠りについたはずなのに……自分の状態に一番驚いているのは、間違いなく俺だと思う。
「悪い……俺、何を……」
「いや、あたしにも分かりませんけど……でも、喉乾いたと思って何となく寝返りうったら、先輩が苦しそうだったので……」
「そうか……」
 確かに不可解でよく分からない夢を見ていたと思う。でも、それだけでこんなに汗をかくだろうか?
 もしかしたら、熱中症にでもかかってしまったのかもしれない。全身が重く、何をするにも気だるさが襲い掛かってくる。
 ぼんやりしている俺に、樋口がおずおずと話しかけてきた。
「あ、あの……あたし、何かしましたか?」
「? いいや、樋口は何もしていないが……どうかしたのか?」
「いえ、その……さっき、名前を呼ばれたので、ですね……」
 そう言って彼女は口ごもる。そうか、さっきの夢のあれは寝言だったのか……恥ずかしい。
「要領を得ない夢を見ていたらしい……俺もよく覚えていないから忘れてくれ。何か飲みに行くか?」
「そ、そうですね。あと、先輩も水分取ったほうがいいですよ。というか……着替えますか?」
 確かに、今の俺はパジャマ代わりのTシャツが若干変色する勢いで汗をかいてしまっている。
 とはいえ、予備なんて持ってきていないから……今夜はこれで耐え忍ぶしかない。
「すぐ乾くと思うから大丈夫だ。行くぞ」
 そう言って立ち上がろうとした瞬間――軽い目眩を感じ、その場に座り込んでしまった。
「奥村先輩!?」
 慌てて樋口が側に付いてくれる。正直……色々情けない。
「熱中症でしょうか……大丈夫ですか?」
「ああ、重ね重ね申し訳ない……」
「あたしがお茶を運べればいいのに……そうだ、例えば『颯』を使って――!!」
「――変なことを考えるな。行くぞ」
 樋口の物騒な企みを遮って、俺は改めて立ち上がる。
 若干、軸がぶれているというか、足元にふらつきを感じるが……熱があるわけではなさそうだ。
 俺の半歩前を歩く樋口が、時折心配そうな表情でこちらを伺いつつ……俺達は数時間ぶりにリビングへと移動する。

 2人して麦茶を飲んでいると……階段を降りてくる軽快な足音が聞こえた。
「……あら、悠樹さんに出ましたか……」
 リビングに顔を出したスウェット姿の雛菊さんが、俺を憐れむような眼差しで見つめる。
 空のコップをテーブルに置いた樋口が、雛菊さんに詰め寄ろうと数歩前へ進んで……当然、一定の場所から先に進めなくなった。
 せめて睨む眼光を鋭くして、樋口が雛菊さんに問いかける。
「雛菊、どういうこと? 何か知ってるの?」
「お二人がこうなった時にも言いましたよね、多少は体に変化があると。香澄さんはそうでもないみたいですが、悠樹さんの方が、力が暴れているといいますか……何だか色々不安定になってますね」
「ちょっ……それ、大丈夫なの!?」
「今のところ問題はありません。ただ、もうしばらく続くんじゃないかと思います」
「そんな……何とか出来ないの? こんなんじゃ、先輩が干からびちゃうよ!!」
 いや、そんなことはないと思う……と言いかけた俺を、雛菊さんはじぃっと凝視して。
「ふむふむ……香澄さん、悠樹さんの負担を軽減することに協力していただけるのですか?」
「出来ることがあるならやるよ!! だって、あんなに苦しそうで……隣で気になって眠れないし」
「分かりました。じゃあ……試しに、悠樹さんと握手してもらえますか?」
「あ、握手? 握手でいいの?」
 樋口が首をかしげつつ、俺の方へ戻ってくる。
 そして横に並び、右手を突き出した。俺は左手で彼女と普通に握手をする。
「――っ!?」
 次の瞬間……今まで重たかった体が少しだけ軽くなったような、体中にまとわりついている嫌な流れが少し変わったような、そんな感覚を感じ、思わず息を呑んだ。
 ただ、彼女と握手をしただけ、それだけで……こんなに違うものなのか、と。
「悠樹さん、いかがでしょうか?」
「何だか……さっきより楽になりました」
 俺の正直な呟きに、余計に混乱する樋口。
「握手しかしてませんよ!? 雛菊、どういうこと?」
「説明が若干面倒くさいんですけど……今、お二人はそれぞれの気力的なサムシングが絡まっていますよね。香澄さんが無神経なのか強いのか分かりませんが、悠樹さんの体はその負荷に耐えられず、香澄さんの気力を強制的に消そうとして、もっと強い力を放出してバランスを壊しているんです。汗がひどいのはそのせいですね。なので、手をつなぐことで香澄さん側の力を流し込んで、バランスを取っている……と、思ってください」
「雛菊の言い方は若干ムカつくけど……要するに、朝まで何とかこのままだったら、奥村先輩は大丈夫ってこと?」
「少なくとも今よりはマシになると思います。繋がる面積が大きければ大きいほど楽になると思いますので、悠樹さんが香澄さんを抱きまくらにでもしてもらうのが一番なんですけど……」
「抱きまくら……」
 本気で思案する彼女に、オイオイと釘を差しておこう。
「樋口、そこは真面目に考えなくていい。とにかく少し楽になったから、今のうちに寝てしまおうと思うんだ、協力してもらえるか?」
「あ、はい、分かりました……じゃあ、コップだけ片付けますね」
 どこか腑に落ちない表情の彼女だったが、俺に促されて空っぽのコップを手に取り、流し台へ向かおうとする。
 そんな背中に、雛菊さんがこんな提案をしてくれた。
「香澄さん、ここは私が片付けておきますので、悠樹さんを寝かせてあげてくださいな」
 刹那、コップを持ったまま振り向いた樋口が、これでもかというくらい目を見開いて驚いた。
「ひ、雛菊がそんなこと言うなんて……!! 何か変なものでも食べたの!?」
「食べさせたとすれば香澄さんなんですけど……私の食事に細工しましたか?」
「人聞きの悪い事言わないでよ!? でも……ありがと、お願いするね」
 そう言って、こちらに近づいてきた雛菊さんへコップを手渡すことに。
 すれ違いざまにそれを受け取った雛菊さんが流し前に立ったのを確認して、樋口が俺にアイコンタクトをおくる。
 俺は無言で首肯して、寝床にしている和室へ戻るため、重たい足を踏み出したのだった。

 さて、和室に戻って来たのはいい、の、だが……。
「樋口……?」
 俺の少し先を歩く彼女が、先程まで俺が寝ていた敷布団のシーツを剥ぎとったではないか。
 確かに汗でグシャグシャにしてしまったけれど……でも、予備はあるのか? 俺に寝るなって言いたいのか?
 シーツを丸めて部屋の隅に放り投げ、色々な疑問が浮かんでは消えていく俺のところへ戻って来た彼女が、ぶらりと垂れ下がっていた俺の右手を勢いよく掴む。
 そしてそのままグイグイ引っ張って……先ほどまで樋口が寝ていた敷布団の上に俺を座らせた。体に力がうまく入らないので、先程から彼女の思いのままだ。
 その場にへたり込む俺の前に腰を下ろした樋口が、俺を真剣に……でも、どこか気恥ずかしそうに見つめて。
「あ、あの……奥村先輩っ!!」
 よく通る声が、部屋の中に響く。
 何となく、彼女の言いたいことに察しはついていた。俺は一度息をつくと、握ってくれている手を強めに握り返す。
「俺はこれで十分だ。樋口が抱きまくらになる必要はないぞ」
 こう告げた瞬間、彼女が分かりやすく動揺する。
「へっ!? あ、いやーそのー……でも、奥村先輩がしんどい思いしてるの、あたしのせいですよね?」
 そして、何やら変なことを言い出したではないか。
 今回のことが樋口のせい? 俺、そんなこと言ったか……?
「樋口の……? いや、違うと思うぞ?」
 正直に答えたのだが、目の前の彼女は納得していない。
「でも、あたしの攻撃が先輩をかすめちゃったから……あの時も、本当は強い方の技を使うつもりだったんです。それなのに、直前で怖気づいたといいますか、失敗したらどうしようって、弱い方でも大丈夫だろうって思って、あんまり周囲とか考えずに技を使って……」
「だとしても、樋口が気に病む必要はない。むしろ、今のこの状態は、力のバランスが取れてない俺のせいだから……自業自得だ」
「だとしても――!!」
「――俺は大丈夫だから」
 更に言いかけた彼女の言葉を遮るように、俺は言葉をかぶせる。
「色々ありがとな。んで、俺の布団からシーツを剥がして……どうするつもりだ?」
「それは……ほら、あんな湿った状態は気持ち悪いですし……」
「今更気にならないよ。それに、俺が樋口の布団で一緒に寝るわけにもいかないだろう? 狭いし」
 務めて明るい口調を心がけたつもりだったが、彼女が俺を疑いしかない眼差しで見つめている。
 その頬は不服を訴えるようにふくれ、そして……。
「……あぁもうやっぱダメです!! 四の五の言わずに大人しく――!!」
「――っ!?」
 刹那、視界が急激に移動する。
 俺の手から離れた樋口の両手が、その次の瞬間には俺の両肩をいきなり突き飛ばして……なすすべなく布団に転がった俺の上に彼女が覆いかぶさる。俺の顔の横に両手をつき、文字通り俺を押し倒した樋口が、「どうだ」と言わんばかりのドヤ顔を向けた。
「本調子じゃない人は大人しくあたしに従ってくださいっ!!」
「……女の子がはしたないぞ、樋口」
「もうこの際なんとでも言ってください。前にも言いましたけど、あたしと奥村先輩は運命共同体、一蓮托生なんです。弱った先輩を助けることが出来るならあたしはそれをやるだけですし……立場が逆だったら、先輩も、同じことしてくれると思ってますから」
「……」
 真っ直ぐ見つめる彼女が眩しくて、思わず視線を横にそらしてしまった。
「それに……あんまり強がってる人には、お仕置きですっ!!」
「ぐふっ……!?」
 刹那、俺の腹部に尋常ではない重さが加わる。
 俺の腹の上に樋口が足を開いた状態で座っていることに気付くまでに、時間は全くかからなかった。
「ひ、ぐっ……重たっ……い……」
 慌てて腹筋に力を入れるが……重たいものは重たいのだ。特に今はただでさえ全身に力が入りづらいので、非常にしんどい。俺の反応を見た樋口が、不満そうに口をとがらせる。
「女の子相手に失礼ですよ、奥村先輩」
「事実だろうがっ……!! わ、分かった、樋口の……指示に従うから、どい、どいて……てくれっ……!!」
 容赦なく自分の全体重(多分)をかけて脅してくる樋口に白旗を上げた俺は、重さのなくなった腹部をわざとらしく手で擦った。
 そして、仁王立ちで俺を見下ろす彼女を見上げ、溜息をつく。
「……俺はどうすればいいですか、樋口香澄さん」
「じゃあ……真ん中は邪魔なんで右が左にずれてください。あ、枕はさっき先輩が使ってたやつを持ってきてくださいね」
 彼女の指示通り、隣の布団から先ほど使っていた枕を持ってきた俺は、樋口の布団にそれを2つ並べ、布団の右半分に内側を向いて転がった。
 しかし、すぐに枕の位置を直される。樋口の枕が俺の一段下に移動した。
「じゃあ、おっじゃましまーす」
 布団の左半分に同じく内向きで――俺と向かい合うように寝転がった彼女が、何の躊躇いもなく俺にくっついてくる。
 刹那、火照っていた体がすぅっと涼しくなったような……心地よい風が吹き抜けたような感覚を感じた。
 2人の腰部分を中心にタオルケットをかけた樋口が、ふぅ、と、安堵の息をついたのが分かる。頭の位置がずれている――俺の肩の位置にある――せいで、俺からは今の樋口の表情は見えないけれど、ほのかに香るシャンプーの香りにちょっとドキッとしてしまった。
 ……恥ずかしくないんだろうか、この状況。
「よく恥ずかしくないな、樋口……」
「こういうのは勢いが大事ですから。それに……医療行為みたいなものだと思えば、そんなに恥ずかしくないと思い込むことにしました」
 なるほど医療行為……そう思えば俺も気が楽になるかもしれない?
 ……そうでもなかった。
「……俺、汗臭いと思うぞ?」
「ご心配なく、先輩からは柔軟剤のいい匂いがしてますよ。でも、先輩が気になるなら……制汗剤でもかけときますか?」
「……いや、いい。今日はもう、動きたくないんだ……」
 雛菊さんの言うとおり、彼女と接する面積が大きくなったことで体がとても楽になって……徐々に眠気が襲ってきた。
「樋口……ありがとな。おかげで苦しまずに眠れそうだ……」
「それは良かったです。じゃあ、あたし頑張ったので……1つだけ、頼みごとをしてもいいですか?」
「頼みごと……? 宿題は自分でやらなきゃダメだぞ」
「分かってますよそんなこと!! そうじゃなくて、その……」
 彼女は一瞬口ごもった後……声のトーンを落として、ボソリとこんなことを呟く。
「その……今だけ、あたしのこと、下の名前で呼んでもらえませんか?」
 刹那、眠気が一気に吹っ飛んだ。それくらい予想外の頼みごとだったから。
「下の名前で……? 別に構わないけど、何かあったのか?」
「え、あ、いやその……さっき、寝言で呼ばれた時に何事かと思ったんですけど、なんか新鮮でいいかなーって……今の先輩なら弱ってるから、これくらい優しくしてくれるかなーって」
「……要約すると、普段の俺は優しくないと言いたいんだな」
「いっ、いえいえ、そんなことあるようでないですよ!! 奥村先輩はチョー優しいです!!」
「不自然きわまりない言い訳をするな。ったく……」
 やっぱり、彼女のことはよく分からないことが多いけれど。
 俺は左腕を彼女の肩から背中にかけて添えると、少しだけ力を入れて、自分の方へ引き寄せた。
「……本当、失礼で親切な後輩だな、香澄は」
 前よりも恥ずかしさは薄れている。この状況でこれ以上恥ずかしいことなんて、最早無いに等しいのだから。
 彼女を近くに感じて安心したのか、再び眠気に襲われる。瞼が重たくなって、意識がぼんやりしてきて……。
「……先輩……は……すね……」
 樋口の……もとい、香澄の呟きは最後まで聞こえなくて。
 俺の意識は、再び深く沈んでいった。

 次に気付いた時、カーテンの隙間からまぶしい光が漏れていた。
 ぼんやりした意識のまま、とりえずまぶたを開いて……視界の中に誰かの頭を見た。
 そういえば、腕の中に誰かがいる感覚がある。華奈が忍び込んできたのか? いや、そうじゃない、確か……。
「香澄……」
 思い当たる人物の名前をつぶやくと、意識と記憶がはっきりしてくる。
 そうだ、ここは樋口の家で、昨日、色々ありすぎて……。
 ここでようやく焦点が合う。見慣れない部屋と、安心できる温もり。遠くでセミが鳴いている音が聞こえ、俺が住んでいる地域とは違う、戸建ての多い住宅街特有の静けさというか……要するにうるさいのはセミだけだ。
 部屋の中はまだ朝の涼しさを残しているけれど、じきに暑くなるだろう。今日がどんな1日になるのか分からないけれど、今日の夜は自分の布団で眠りたいものだ。
 そう思いつつ視線を落とし、彼女のつむじを見つめる。
 結局、また……彼女に助けられてしまった。今度は俺が支えるつもりだったのに。
「んむ……むむ……?」
 刹那、腕の中の彼女がモゾモゾ動いて……頭も動く。見上げて俺を見つめる彼女の目は完全に寝ぼけていて、どこを見ているのかよく分からないくらいだ。
「あっれ……奥村、先輩……?」
「おはよう、ちゃんと眠れたか?」
「そりゃーこっちのセリフですよぉ……せんぱ……ふぁ……先輩こそ、具合はいかが……でふかぁ……?」
「俺は割と元気だぞ。香澄のおかげだ」
「ふあっ!?」
 刹那、彼女の意識が一気に覚醒して、俺をマジマジと見つめる。
「あ、あの先輩、今、あたしのこと……」
「香澄が名前で呼べって言ったんだぞ、俺もたまには優しいところを見せないとな」
「そ、それは確かにそうですけど……でも、それは昨日の夜だけじゃ……!!」
「そうだったか? じゃあ戻すよ、樋口」
 俺がしたり顔で呼び方を戻すと、彼女はどこか安心したような、でも、どこか残念そうな……形状しがたい微妙な表情をしていたが、すぐに口元を引き締めて体ごと上にモゾモゾと移動し、目線を俺と同じにする。
 普段以上の至近距離で見つめ、どこを見て良いのか分からなくなった。クリっとした瞳に長いまつげ、キメの細かい肌……さっきから何を観察してるんだ俺は。
 そんな俺の心情など察するわけもなく(むしろ察しないでくれ)、彼女が俺を笑顔で見つめる。
「やっぱり、いつもの呼び方がしっくり来ますね。と、いうわけで改めておはようございます、奥村先輩」
「おはよう」
「うん、顔色もそんなに悪くないみたいだし……でも、油断出来ませんよね。元に戻るまで何か違和感があったら教えて下さい。1人で無理しちゃダメですからね」
「分かったよ。俺、信用されてないな」
 彼女に伝わるように溜息をつくと、「当たり前じゃないですか」と言い返された。
「昨日のことがありますらかねー……念には念を入れないと。だって奥村先輩、すぐ1人で無理するじゃないですか。今一緒にいるのはあたしなんですから、あたしの目が黒いうちは無理させません!!」
「それは心強いな」
「当然です。いつまでも先輩に頼るばっかりじゃダメなんです……『干渉者』のあたし達は横並びの仲間なんですから」

 横並びの、仲間。
 彼女のその言葉に、思わずハッと息を呑んだ。
 確かにそうだ。学校では先輩後輩という間柄だけど、学校の外に出て剣を握れば、彼女は頼もしい『仲間』になる。
 あの、最初は怯えて尻込みしていた彼女が……今では特攻隊長なのだから、短い期間で本当によく頑張った。

 ……俺は、どうだろうか。
 俺は、彼女の風に追いつかれ、このまま、置いて行かれてしまうのでは?

「……奥村先輩、どうしましたか?」
 無言になった俺を、彼女が訝しげな眼差しで見つめている。
「いや、何でもない。樋口がたくましくなったことに驚いたんだ」
 半分本音の返事を返すと、彼女が俺に不服そうな表情を向ける。
「何ですかそれ、あたしだってちゃーんと成長してる(つもりな)んですから!! 先輩なんて、すぐに追い抜いて置いていきます!!」
 強気な口調でそう言った彼女が、俺を少し下から最至近距離で見上げ、不意に、口元に笑みを浮かべた。
「だから……ちゃんとついてきて、あたしが間違えそうになったら引っ張ってくださいね、奥村先輩」

 その顔は、普段見慣れていた彼女とは違う力強さと、どう言葉にすれば良いのか分からない不思議な魅力があって……思わず、見惚れてしまった。
 同時に、今の顔を誰にも見せたくないと――

「先輩、奥村せんぱーい?」
「っ!?」
「さっきからボーッとして……もしかして先輩、寝起き悪いんですか?」
 キョトンとした顔で俺を見つめる彼女から視線をさり気なくそらしつつ……ダメだ、益々真っ直ぐ見つめられなくなってきた。
「先輩、どうかしたんですか?」
「……何でもない。起きるぞ」
 そう言って俺は上体を起こす。そして、彼女に背を向けてわざとらしく背伸びなんかしてみた。
「どうせまだ、一緒じゃないと行動出来ないんですから、着替え取りに行くの付いてきてくださいね」
 背を向けた背後、彼女が体を起こす気配を感じながら……俺は、枕元に置いていたスマートフォンを手に取り、メールを開く。
 昨日、有坂から届いたメールに返信をしていなかったから。用件は手短に、それだけで十分伝わるはずだ。

 樋口香澄。
 彼女のことは……やっぱりまだよく分からないけれど、でも、一つだけ分かってきたことがある。
 それは――

 メールの返信を終えた俺はスマホをズボンのポケットに入れて立ち上がり、彼女と――樋口と向かい合わせになって視線を交錯させた。
「あれ、先輩……どうかしたんですか? なんか、嬉しそうというか……笑ってません?」
「まぁ……これまで分からなかった問題の答えが分かったような気がした、かな」
「先輩でもそんなに考える問題があるんですか!? あたし、2年生の勉強ついていけるかな……」
 ガクリと肩を落として踵を返す樋口が、とりあえず部屋の外へ出ようと歩き始めて……。
「んぐっ!?」
 扉の直前で動けなくなる。そして振り向くと、恨みがましい目でコチラを見つめた。
「奥村先輩……ちゃんと起きて動いてくださいよ」
「ああ、悪い。今行くから」
「笑ってますね!? 誰のせいでこうなったと思ってるんですか!?」
 朝から元気な樋口に追いついた俺は、連れ立って部屋を出る。
 ポケットの中ではスマートフォンが元気に振動していたが……今はその着信に応じないことにした。

 最近、一つだけ分かってきたことがある。
 それは……俺が、樋口のことをどう思っているのか。
 先ほど送った有坂へのメールに、今の俺の思いを込めたつもりだ。


 『香澄は渡さない』