教育改革と歴史的大阪弁? | 追伸 4jhから愛を込めて

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フォージョウハーフ 代表 日比野は、考えます。



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マナー研修をお願いしている木原さんの
敬語の講義を聞いていてあれっと思った、
「言う」の尊敬語は、「仰る」謙譲語は、「申す」そして、「いる」は、『おる』『おる』?大阪弁で、フランクな場面で、相手の所在を尋ねるときに、『○○は、おるか?』『いや、おらんで』とこんなやり取りをする。敬語ではない場面で使う方言が、敬語と同じなのである。話は、変わるが、奈良や京都では、『行く』のことを敬語では、『いかはる』とやわらかく言うのだが、この言葉を目下の者やひどい時には、犬にも使う。そこに敬意は含まれてはいない。これは、かつて、大阪・京都・奈良には、都があったことを証明している。当時、市中に敬意を表すべき人たちが溢れていた町では日常的に敬語が溢れていたのだ。そして、敬語を使う機会のほうが多く、そうではない言葉を使うことが少ないので、ずっと敬語を使っているほうが楽であったのだろう。そして、町は、都ではなくなり、権力者たちが去っていった後にも、日常語としての敬語が方言として残った。マナー研修のなかで、ふと歴史を感じた。 -4JHから愛を込めて 京都の清水寺を壊して流行のビルを建てようと 言えば、まぁ、殆どの人が目くじらを立てて反対するであろう。 最近、大阪弁ではなく、方言で子供を育てる人がいると聞くが、 便利ではあるが、しかし、それでは何かを失ってしまうかもしれない。人気blogランキングに参加しています。下記をクリックするとポイントが加算されます。応援してください! ⇒ココをクリック!よろしくお願いします。