対岸の火事 | 酒の友は我が友也

酒の友は我が友也

酒好きで女好きとの評判な筆者が、意外と適当じゃないことを綴るブログ。
きっと何か発見がある。たぶん、本を買うより安上がり。
合い言葉は、『愛だろ?愛』

本日月曜日は、恒例の日本語シリーズ。
と行こうかと思っていましたが…今回はお休みします。
今回は、ちょっと横道に逸れて心中を吐露します。
小言でもあり、愚痴でもあり、意見でもあります。

発端は先週の記事です。
“日本語 -送り仮名-” を掲載しましたが、
非常に残念なことがあったのです。

何が残念だったのかはてなマーク
記事の掲載後、普通に送り仮名を間違えている方を発見。
それがまた、当ブログへよく足を運んでくれている方でしたので…。
この上なく残念だったのです。

「記事を読んでいないな~」とも思いましたが、
これは、如何に記事を読んでいないかではありません。
如何に、そのことに対して意識がないかの証拠だと思います。
「自分は関係ない」「自分は大丈夫」「自分に限って」
“解っているつもり”程、危うい思考はないです。

おそらく多くの人は、
この時点で「そんなことは解っている」
と思っていることでしょうね。

実際、単なる思想や考え方などなら、そう思うのも仕方がありません。
当たり前のことを当たり前に述べている場合が多いですし、
そこには真の正誤が存在しない場合もあるからです。
他人は他人、自分は自分の領域だからです。

しかし、日本語だけに限らず、
英語にしろ数学にしろ物理学にしろ…。
正誤が確実に存在するものに対して、その考え方は…。
成長を阻害する要素以外の何ものでもありません。

「お前に言われなくても解っている」
そう思う気持ちは理解出来ますが、正直申し上げてナンセンスです。
解っていても出来ていない場合があります。
そこは真摯に向き合って欲しいものです。

“対岸の火事”
何事に関してもそうですが、
無関心ほど罪なものはないです。
そして、それは自身にとってマイナスになる場合が多いです。
対岸の火事のまま終わらせるか、そこから何かを学び取るか…。
それは当人の意識次第ということなのです。