ちょっと自分の半生を振り返ってみた vol.1 | フランクスオーナーのブログ

ちょっと自分の半生を振り返ってみた vol.1

僕が音楽ソフト販売業という仕事に携わり始めたのは1986年3月。

ちょうど来年で丸30年を迎えます。

そんなに長くこの仕事を続けているという実感は湧かないのだけど、

自分が生きてきた人生のおよそ半分をこの仕事に費やしているわけです。


だからどうってわけではないんですけど、

自分が歩んできた30年間の足取りを少しずつ振り返ってみようかな?と思い、

今日はその1回目のブログを書きます。

不定期な更新になりますし、かなり個人的な内容になるので、関心の無い方はスルーしてくださいね。

では、



僕が大学を卒業した1977年当時は、高度成長期も終わり、

オイルショックの後遺症がまだ残っていた時期で、かなり就職難の年でした。

音楽業界(レコード会社)を志望してたものの、当時の音楽業界は今以上の人気業種でかなりの狭き門。

どこの会社にも就職希望者が殺到してました。


ただでさえ狭き門の業種なのに、学生時代はライブハウスなどで遊びほうけて、

さほど勉強熱心ではなかった僕の成績では、入社試験に合格するはずもありません。

音楽の仕事をしたいのなら、レコード会社に入らなくても他に色んな道がある事を今では知っていますが、

学生だった自分にはレコード会社に入る以外、音楽の仕事が出来る方法が思いつかなかったんです。


就職浪人をするという事も考えたんですが、

大学入学まで何とかストレートで来た僕に、ここに来て浪人をさせたくないという親の希望もあり、

音楽業界をあきらめて、普通の会社に営業として入社しました。


9年ほどサラリーマンをして(2度転職はしましたが)、僕が30歳になった時に母親が他界しました。

これは大きなショックだったし、この事が自分の大きな転機になったのではないか?と思います。


母が他界した当時、僕は広告代理店とは名ばかりの印刷会社で働いてました。

この会社が今でいう"ブラック企業"で、

数か月間休みも取れず、朝早くから深夜まで働かされてました。

「オールナイトニッポン」のオープニング曲を聞きながら帰宅し、エンディングを聞きながら出勤してました。

そんな暮らしが元々病気がちで身体が弱ってた母にもかなり負担をかけていたような気がします。


母親の初七日を終え、出勤した僕にその会社の経営者が言った言葉は今も忘れません。

「母親が死んだくらいで1週間も休みやがって」

その上、四十九日にも休みを取らせようとしない会社でした(強引に休みましたけどね)


そんな事が色々重なって、その年の年末にこの会社を辞める事にしました。

他に仕事のあてはなかったんだけど、「このままここにいては自分の人生が駄目になる」と思って。


年が明け、31歳の誕生日を迎えました。

新しい仕事も見つからず、ただぶらぶらしている毎日。


そんな中、新聞の求人欄にレコード店員の募集が載ってたんです。

広島県内で数店舗の店を運営しているチェーン店でした。

その求人広告を見た時、「音楽関係の仕事がしたい」という若き日の夢が甦ってきたんです。

すぐにアポイントを取り、面接に出かけました。


その面接の際に言われた言葉が、

「馬鹿な事を考えるのはやめなさい」でした。


レコード店の店員というのは、大体高校を卒業したばかりの子が多く、

30歳を超えた男が応募する事は考えられない事だったんです。

「高校を卒業したばかり位の年齢の子に命令されるんですよ。耐えられますか?」とも言われました。


それでも「もう一度音楽の仕事にチャレンジしたい」という思いが強かったんでしょうね。

「頑張りますので、よろしくお願いします!」と返事をしました。


そうして1986年3月、レコード屋の店員としての新たな人生が始まったんです。

(月給は半分以下になりましたが…)


=次回に続く=


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