2067.心の汚れはそのままでノ巻 | フランス絵巻き

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南仏コートダジュール・画家よんじょう


昨日、日本男児とゴハン後も、シミジミ、”心地ヨカッタな~”と思っていたら、『ン?!このカンジ、最近もあったド。』と気づきましたわ。


まんづ、先日、ニースに来ていた日本女人(料理店主)がそうだった。

その少し前は、ジャポンで晩餐をともにした青年がそうだ。


3人とも共通してるのは、それまでは、”ホトンド知らない知人”だった事。

そして、話してみて、3人に共通していた事は、心(の核)が綺麗で澄んでいたこと。


といっても、純真で無垢な人という意味ではニャイ。


たとえば、宗教の勧誘とかしてる人って、やたら、目(の輝き)が純粋な人が多いやん。

そういう100%善意の血でできてる系は、ワテとはカケ離れすぎてて接点を持てまへん。




そもそも、汚れは別に亀へんねんけど、芯がマッスグでピュアーだと、Myセンサーが自動感知して、好感と信頼のスイッチを押すんよねえ。


3人のピュアーさは、人生が丸ごと覆されるような体験をしながらも不可侵だった部分なんで、輝いてみえるんですわ。

個展をやるようになって、わかった事やけど、0か100かの決意を持った人と、いつも50で生きてる人では、根本的なギャップがあるわ。

50の人だと、輝きも50ドマリ。



日本で会った青年は、20代なのに、凄まじいレベルで、0か100かの体験者だった。


青年が明るく放った、あるセリフには重みがあったわ。

心に響きすぎて、シコーキの中でも、そのセリフを反芻してしまったホド。



ハンスー結果、
ジンセーは楽しんで、何でもやってみればいいのだ、と学びました。

失うものは何もないのヨネ~ん。



当面は、ウタタネをマットウしています。・・・。