誕生日の翌日は。
父方の祖母の命日なのだった。
祖母が亡くなって9年になる。
「おばあちゃんは百まで生きる」というのが口癖で、
その実、(おばあちゃんはほんとに百の誕生日を迎えるかも、)と思わせるような、
昔の人にしてはがっしりした体格の人であった。
「おばあちゃんが子供の時分はサザエやアワビがお八つで…」
と言っていたように、海産物を豊富に口にして育ったからかもしれない。
祖母は、佐渡の出身であった。
祖父も佐渡の出で、
どちらも進学のために、上京したのだそうだ。
(いや、正確に言うと祖母は東京に嫁いでいた姉(私から見ると大伯母)
の出産の手伝いのために上京した折、姉の夫から
「皆、進学の為に田舎から東京に出てくるのに、
わざわざ田舎の学校に行くことはないだろう。」
と勧められ、東京の学校に通うことになったのだと。
(本来は新潟師範を受験するつもりであったらしい。)
何年か一緒に住んでいたし、私は割合そういう昔話を聞くのがきらいじゃなかったので、
その手の話をいくつか覚えている。
祖母が言うには、数学の得意な優等生であったこと。
佐渡にいた祖父の父(=曾祖父)が、あるとき祖母の佐渡時代の女学校へやってきて
「息子の妻に卒業生を紹介してほしい。」
と言って紹介されたのが祖母であったこと。
祖母の両親は祖父方の曾祖父が気難しい人物であることを知っていたので、
しばらくは辞退しつづけ、ついに折れたこと。
祖父は東京に恋人がいて、
思いがけず郷里でそんな縁談が持ち上がっているのを知り、
彼女にそのことを告げたところ、
彼女は怒ってほかの人と結婚してしまったこと。
(何度も思ったが、そこで祖父がその彼女と結婚していたら、
どんな展開になっていたのだろう。)
祖母自身はいわゆる美人というのではなく、
ただ、どことなく堂々とした感じがするのだった。
いつだったか、
「ねえさんは佐渡がいい、佐渡がいいと言うけれど、
どうしてそんなに佐渡がよいのかしら。」
と言ったことがあった。
祖母の両親は調った目鼻立ちの人々であったらしい。
そのため、親戚か誰かに
「まぁ、あんたのご両親はお雛様の夫婦だのに、あんたはちっとも似ないで。」
と言われて口惜しい思いをした、と聞いた。
ずっと後になって、祖母の葬儀の時に、祖母の姪にあたる人が昔の家族写真を持っていて、
一目見て(なるほど)と思った。
曾祖母を中心に、右手に生まれたばかりの子を抱く祖母の姉、
左手に弟たち、
そして曾祖母の後ろに祖母が立っており。
曾祖母は孫がいるとは信じがたいほど若々しく美しい姿で、
祖母の姉は母親によく似ており。
何となく、祖母が優等生であったわけがわかったような気がした。
反面、華奢なところもある人だった。
祖母は子供を二人、亡くしている。
そのことを、多分祖母は一生振り返り続けていた、と思う。
折に触れては、亡くなった子たちのことを口にしていた。
やはり子供を亡くしている母方の祖母の口から、
亡くなった子の話を聞いたことがないのとは対照的だった。
そして孫に対する付き合い方も。
母方の祖母が10人の孫を
やや離れたところから見守っている感じなのに対し、
父方の祖母は溺愛といっていいくらいだった。
祖母の家に寄ると(わりにまめに足を運んでいたが)、決まって、またいらっしゃい。と言われるのであった。
(見た目には母方の祖母の方が華奢に見えるのだが。
ちなみに母方の祖母は明治生まれ。今も存命である。)
父方の祖母と母方の祖母とは同年生まれ。
ただ、父方の祖母は明治天皇の崩御後に生まれたので、
大正元年生まれである。
「あちらのお母さんは明治生まれだから…」
と言っていたことがあった。
実際には同年生まれなので可笑しかったが、
たぶん、祖母たちが若い頃、
明治生まれに比べて大正生まれは…
というような世間の風潮があったのだろう。
最後に祖母と会ったのは、祖母が亡くなる一週間前だった。
病の床にあったが、手を握ると肉厚で大きくて温かい女性にしてはずいぶん大きな祖母の手なのだった。
あれから9年。