シェイクスピア 『ヘンリー四世 第二部』 (シェイクスピアの史劇5) | 東海雜記

東海雜記

主に読書日記

人の心の、なんと呪わしいことか!

過去と未来は美しく見え、現在は最も醜いと思うのだ。

       ヨーク大司教(『ヘンリー四世 第二部』第一幕第三場)



シェイクスピアの劇はなによりセリフが楽しい、といった人がいます。

美しいセリフ、力強いセリフ、残酷なセリフ、卑猥なセリフ。

読むたびに心に響くセリフが一つや二つはあります。

シェイクスピアに限らず、お芝居とはそういうものですけれどもね。

冒頭のセリフはヘンリー4世に兄弟を処刑され、反乱を起こしたヨーク大司教リチャード・スクループのもの。かつては先王リチャード2世に我慢がならぬとヘンリー4世を擁立した貴族たちが、今度はそのヘンリー4世に我慢がならない、先王は良かったという。そんな人々を嘆いて言ったセリフなのですが、そこに自分も含まれちゃっていることに気づいているのでしょうか。

このセリフはどの時代のどの国でも当てはまりますよね。無論現代のわれわれにも。


私は『ヘンリー四世』の二部作が『太平記』の世界に似ているなあ、と思うときがしばしばあるのです。

先日書きましたヘンリー4世と足利尊氏の立場が似ていることもありますが、北条の時代を嫌悪し、倒幕した武士たちが後醍醐にも絶望し、嘆くところがこのヨーク大司教のセリフのまんま。

反乱に次ぐ反乱を重ねる武士たちを見ていると、この時代のイングランドの大貴族たちのようです。


もちろん反乱を起こす側にも正義はあります。王が絶対に正しいとは描かれておりません。



第一部でホットスパーを打ち破り、力で奪った王座を力で安定させた王ですが、今回もまた反乱の話から始まります。

しかし前作のホットスパーのような溌剌とした人物のいない、誠に精彩の欠く反乱となっています。ホットスパーの父、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーは老いと病に蝕まれ、前回決起できず。今回こそはと思うも、ホットスパー夫人

「わが子を見殺しにしたのに他人に助勢するのか」

と恨み言を言われ、さんざ迷った挙句今回も見送り。

そして「占いで不吉と出たから」とこれも前回決起しなかったウェールズ豪族のオーウェン・グレンダワーは登場人物表にすら入っておらず、死んだことが伝えられるだけ。しかも死因もはっきりしていません。


一方の王側もこれまた精彩を欠いております。

王ヘンリー4世はパーシーと同じく老いと病に蝕まれ、第三幕になってやっと登場(シェイクスピアの劇は五幕構成)。ただ病のみが強調されております。

皇太子のハル王子も前回に比べると出番が減っております。前回輝かしい武功を上げ、父に喜ばれたのもつかの間、相変わらずロンドンの居酒屋で遊んでいます。

この二人を尻目にフォルスタッフはほぼ出ずっぱり。ハルとのからみは少なくなったものの、かわりに居酒屋の女将クイックリードル・ティアシートなる女性とからみ、年甲斐もなくドルを口説いたりしております。

そしてハルの弟、ランカスター公ジョンの部下となって新兵募集をするものの、兵役逃れの賄賂をちゃっかり受け取り、役に立たない人間ばかり引き連れる始末。人の良い老人、地方判事のシャーローとのやりとりも笑えます。


しかしこのフォルスタッフも第一部とは異なり、いっそうお調子者のセリフを吐くものの、珍しく本気で自分の老いを嘆くセリフも見受けられます。またシャーロー判事とのやりとりでは


よく二人で深夜十二時の鐘を聞いたものだった。 (第三幕第二場)

としんみり青春を懐かしむようなセリフを吐きます。らしくないセリフです。

もっともこれはシャーローに調子を合わせただけ。この後もすぐにシャレのめしをするのですけれども。

われわれとしてはこういうセリフにドキッとするんですね、らしくないから。


*オーソン・ウェルズがフォルスタッフを演じた映画『真夜中の鐘』。タイトルはここから来ています。


『第一部』が陽気な若々しいドラマ、一方に戦乱を描いたドラマであるとすれば、この『第二部は老いと病のドラマであり、ヨーク大司教らの反乱もだまし討ちという外交的手段で未然に防がれます。

『第一部』では昇る朝日の若々しいハルが、『第二部』では沈む夕日の陰鬱な王と、老いとやがて破滅へと向かってゆくフォルスタッフが描かれております。

そうです。フォルスタッフは破滅するのです。

王が死に、新たにヘンリー5世として即位したハル。これでわが世が来る! と喜び勇んで駆けつけ、声をかけたフォルスタッフはハルに冷たく拒絶されます。


お前など知らぬ。お祈りに日々をすごすがいい、ご老人。 (第五幕第五場)


こうしてハルは『第一部』で独白したように後の栄光を際立たせるためにフォルスタッフを拒絶します。

放蕩時代の勉学は十分つんだ、というわけです。

そしてハルは庶民の世界から権謀渦巻く王侯貴族の世界へと旅立つのです。もはや後戻りはできません。

いたずら好きな陽気な自分を追放したのですから。


フォルスタッフはハルの言葉を信じていません。他人がいる手前照れ隠しにあんなこといったんだと、傍らにいるシャーローを必死に説得しております。「今夜にも内々にお呼びがあるはずだ」と。

しかしそれはシャーローではなく、自分を説得させている寂しいセリフなのです。



こうしてシェイクスピア劇で最も愛されているキャラクタ、フォルスタッフは退場してゆきます。

彼を、そして自分の一部を追放したハルはヘンリー五世として、「王の鏡」として対フランス戦争の準備に取り掛かるのです。



ハルのこの変貌をどう捕らえるかは人により異なるでしょうし、また同じ人でも時により異なってくるでしょう。

『第一部』での「わざと身をやつしているのだ」というセリフとつなげると誠にぞっとするような、冷たい人間に思えます。

その一方でフォルスタッフが死んだと早合点したときの悲しみのセリフ、彼とのばかばかしくおかしなやり取り、追放を言い渡した後のそれとなく情けをかける処置などを見ると、誰よりも悲しんだのはハル自身ではないかとも思えます。

王という人間を超越した存在にならねばならぬ身として、できればもう少し長く人間としてフォルスタッフたちと過ごしたかったのでしょうか。

それとも全ては『ヘンリー五世』に見られるようになる彼の冷徹な計算だったのでしょうか。


そういった幅を、読み取る幅、演技する幅を持たせているところがおもしろいのですけれども。


◆記事中のセリフは

ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志

ヘンリー四世 第二部 シェイクスピア全集 〔16〕 白水Uブックス

より引用しました◆


次回より史実を追ってゆきます。

「ハリー・モンマスとネイティブ・プリンス」

「ハリー・モンマスと炎の拍車」

です。 またまたいかにもなタイトルでスミマセン。