童話の王様ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)。祖国デンマークでは童話作家としてよりも国民的な詩人として有名です。また小説や紀行文もたくさん書いております。
彼は生涯独身でしたが、幾度も激しい恋をし、常に破れ、それを文学作品に昇華させてきました。
彼の恋愛で特に重要な3人の女性は
初恋の女性リーボア・ヴォイクト
後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼ・コリン
そしてソプラノ歌手のイェニー・リンド(ジェニー・リンド)
リーボアはの同級生のお姉さん。彼は殆ど無一文でコペンハーゲン(デンマークの首都)に出、さまざまな苦労をした後に後援者に恵まれ、大学まで進みました。ですから同級生の姉とはいえ、彼より一つ年下です。アンデルセン24歳、リーボア23歳でした。
彼は熱心に詩やラブレターを送っています。しかしリーボアは翌年他の男性と結婚。世の多くの場合どおり、アンデルセンの初恋も失恋に終わりました。
実はリーボアも若い詩人からの手紙や詩をまんざらでもなく受け取っていたようなのです。純粋に女性として、男性からの手紙が嬉しかったのでしょう。ですが当時のアンデルセンはいまだ無名。加えて彼は積極的にアタックするタイプではなく、ロマンチストではありましたが、現実的ではなく、ただ「恋に恋する」だけでした。
後年アンデルセンとリーボアは再会します。
すっかり「おばさん」になったリーボアに幻滅したのか、その後、彼にしては珍しく意地の悪い皮肉な結末の童話「こまとまり」(または「幼なじみ」)を書いています。
*ちなみに私はこれが最も恐ろしいアンデルセン童話だと思っています。 以前書いた記事
も参考にしてください。
しかしアンデルセンは自分の初恋を決して忘れてはいませんでした。
彼が死んだとき胸につけていたのは、初恋の相手への手紙と花束でした。
その後後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼに恋心を抱いた彼。このコリンという人、王立劇場の支配人であり、政治家でして、役者(=歌手)になろうとして上京し何度も挫折した少年アンデルセンの才能を認め、ラテン語学校にそして大学にまで送り、彼を支えました。アンデルセンは「第二の父」と呼ぶほど彼を深く敬愛しました。
コリン家とアンデルセンは終生親交を結んでいます。
ところがそのアンデルセンがコリン家の娘に恋をしたものですから、大変。
先の「フーシェの恋」に見るように、出自の違うもの同士の結婚はとてもむずかしい。父ヨナスとしてもそこは譲れなかったでしょう。ルイーゼは婚約。傷心の彼にヨナスは旅に出ることを薦めます。
失恋と、同じ頃起きた母の死。アンデルセンは旅に出、そして傑作『即興詩人』を書くのです。
また、彼の秘めたる悲しい恋心は「人魚姫」に昇華されました。これ以前にも何篇か創作童話を発表してはいましたが、この「人魚姫」こそがアンデルセンの童話作家としての地位をゆるぎないものにしたのでした。
*失恋と同様に彼を悲しみに落としたのは母の死。彼がいかに母を愛していたか。無学な、酔っ払いでも彼に限りない愛情を注いでいた母を彼は終生忘れませんでした。
「マッチ売りの少女」 「ある母親の物語」 「あの女はろくでなし」
など母をモデルにした童話が何篇かあります。
イェニー・リンドは「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれ、ヨーロッパ中にその名を知られたソプラノ歌手でした。
↑イェニー・リンド(1820~1887) 右はイェニーの肖像があるスウェーデンの紙幣
今残っている肖像画を見ても非常にかわいらしく、利発な女性だったことがわかります。
彼女もアンデルセンと同じように恵まれた生まれではなく(私生児だった)、自分の才能で今なお「スウェーデン最大の歌姫」と呼ばれる地位を得ました。
人一倍感受性の強かったアンデルセンのこと。彼女の才能と人柄に強く惹かれ、詩やプレゼントを贈り、愛を訴え続けました。アンデルセンが38歳、イェニーは15歳年下。
アンデルセンの有名な童話の一つ、「ナイチンゲール」。題名でお分かりのようにイェニーのために書かれたのだそうです。それもたったの二日で!
この頃はアンデルセンも社会的に認められた存在。彼としても勝負に出たのでしょう(わかるなあ)。しかしイエニーは彼を尊敬はしても愛してはくれませんでした。その年に彼女がアンデルセンに送ったクリスマスカード。そこに書かれていたのはこんな言葉でした。
「親愛なるお兄様」
これが彼女の答えでした。とても慈愛に満ちた手紙(カード)でしたが、アンデルセンの望むものではありませんでした。
彼はついに生涯独りで生きてゆくことを決意します。
この頃書かれた「もみの木」という童話に、彼の青春への決別を見るのは深読みしすぎでしょうか。。。
*彼の求愛は拒否しましたが、それでも彼を尊敬し続けたイェニーも生涯独身でした。これはアンデルセンと同じように報われぬ恋に殉じたからです。メンデルスゾーンと彼女は互いに好意を寄せ合っていましたが、ついに結ばれることはありませんでした。
コンプレックスの塊で、女性的で、気難し屋のアンデルセン。
感受性が強く、喜怒哀楽が激しく、ロマンチストだったアンデルセン。
女性の愛を勝ち得ることはできなかったアンデルセンでしたが、その悲しみが彼を詩人として成長させ、その生涯が苦難に満ちている分だけ彼の文学に限りない優しさが加えられ、今なお世界中の子どもたちから愛されています。
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ジェニー・リンド物語―美しきオペラ歌手の生涯
- 森重 ツル子