ツイッターってのは流しそうめんみたいなもんで、
そのフォーマットにあった情報が流れてくると非常に有益です。
でも、たまに細分化されたとんかつ定食が流れてくるときがあります。
もちろん俺はとんかつ定食大好きだけど、ここに流すのはもったいないよって気もします。
「とんかつ定食やってます」っていう張り紙を流すという方法をとってもいいのではないでしょうか。
ホリエモンなんかはそのパターンでやってるんだと思います。
ツイッターは色々と早い。
インプットも早いし、アウトプットも早いし、忘れ去られるのも早い。
そのスピード感が良いものなのか、悪いものなのかよく分からない。
ドライブしているような疾走感が気持ち良いのでついつい長居してしまいます。
ツイッターで得られた物はたしかにあるけど、それと引き換えに大切な何かを失っているような気もします。
その大切な何かが何なのか、上手く言葉にできないんですけども。
それでもライターなんでなんとか言葉にしようと頑張ります。
サッカー指導者のツイートとかを僕は入念に拾って読んでるんです。
というかツイッターの目的の5割以上はそこにあります。
サッカー指導者がメディアのフィルターを通さずに気楽に情報発信できることは
素晴らしいと思う一方で、
ものすごく大切なことがサラッと流れていってしまう怖さのようなものを感じます。
習得するのに何年もかかったようなサッカー哲学がどんどんどんどんTLに流れてくる。
情報の重要さと、流れていくスピードのミスマッチといいましょうか。
しっかりと理解するのに時間がかかるようなことが、次から次へと流れていく。
受け手側の都合(サッカー理解度とか)なんて一切考慮されません。
読んでる人々は、表層的な言葉だけを拾って何となくサッカーを分かったような気になる。
発信する側の人間はポンポンと投げかけていけるのが楽しいのかもしれないけど、
受け取り手はアップアップ状態だったり、さらにはそういう状態になっていることにすら気づいていなかったりする。
世の中には瞬時に理解できた方がいいことと、時間をかけてゆっくりと理解した方がいいことと両方があるわけです。そういう意味ではあとでじっくりと読み返せるブログや紙媒体も中々に味わい深い。
最近、ブログのまったりしたペースも悪くないなあと思うようになりました。
ツイッター始めたとき、その衝撃からもうブログ止めようかとも頭をよぎったけど
閉鎖しないでよかった。
ツイッターとブログ、両方をバランスよく使い分けていこうと思います。
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