僕よりも一回り以上下の女性が書いた演劇に関する記事を読んだ。

7、8割紛れもなく僕の内側にある感情と同じだった。立場は違うけれど、もう殆ど一緒だった。

僕が幼いのか彼女が並外れた感受性を持っているのかは分からないが、僕は後者だと思っている。


始めにお伝えして頂きますが誰かを傷つける為の記事では御座いません。ただ、素晴らしい感受性に影響を受けて、年甲斐も無く書き殴りたくなった、吐き出したくなっただけのどうしようもない文章で御座います。読まれる方は大らかな心で流し見をして頂けたらと思います。では…


演劇を生かす事は、僕もずっと考えている。
何も生きてないとは思っていない、観て面白い舞台なんて、現代には沢山あるんだ。
でも、そうじゃない。
時代の影響か、コンテンツとしては非常に貧弱なものになってきている事は否めないと思う。都心は現在はどうだろう、ハッキリと事情は分からない為明言は避けるけれど、地方では特にそういった印象がある。



僕は以前、東京でプロとして活動していた。
その時はSNSも駆け出しで、Youtuberもおらず、違法ダウンロード撲滅的な事が騒がれ始めた時期だっただろうか?
まぁ、まだ巻き返せるかと思っていた。
コンテンツとしては当時から弱っていた印象はあったが、まだまだ盛り返せたんじゃないだろうか?(若気の至りで誤解していた可能性は大いにある)


しかし、地元に戻って数年
地方演劇のコンテンツの弱さと直面して衝撃が走った。別にそこでやっている舞台が詰まらないモノばかりという訳ではないんだ、ただ興味を持たれる事が余りにも少なかった。

それは勿論、宣伝美術や方法等に問題があったと思う。しかし、それだけではないより巨大なコンテンツに隅に追いやられていった感があった。
それが先に述べたいくつかのコンテンツをはじめとするモノであったと思う。
それらも決して悪くない、時代と技術とマッチしたんだと思っている。
素晴らしいコンテンツの数々だ。

表現を「観に行くもの」から「そこにあるもの」「気軽に生み出すもの」に変えた魔法の様な時代の流れだった。



生き残ったのは、確かな技術やコンセプト、又は人海戦術が可能なだけの人員を持ち、独自性を保ち続けた者達だけだった。

しかし、それらも今現在大きく苦しんでいると思っている。動員数を増やす為に、発信内容よりも受信する側が喜ぶものを作っている団体は非常に多いと思う。


そんなジリ貧のコンテンツに若い人達が興味を持つ訳もなく、人口はどんどん減っている。
地方では。


若い人は本気になれば都心に行く。


何一つ間違っていない。




演劇を構成する3つの柱
「舞台」
「役者」
「観客」
そして「観客」は多くないのだ。地方演劇は死に体に近い。


時代の流れはもう既にこうなんだ。
それには抗えない。
あとは観客の奪い合いと玉(公演)の撃ち合いが残る。


想像以上の弱肉強食の世界が広がっている。



地方が困窮していく原因はもう一つあると思う。
特にこの国はそれが加速し易い傾向にある。


それは歴史的に演劇的な技術が確立されて間もない国だからだ。
芸能は多いが、確かな技術力を確立する為の近代演劇のノウハウはこの国には根付かなかった。
かの鴻上尚史氏も著書で仰っているけれど、演劇のメッカの技術がアングラ演劇によるある種の迫害によって定着すべき時代に定着しなかった。


それにより、見栄えやインパクトでらしく演技をしていくショースタイルが組み上がったと思っている。美しければ良い、カッコ良ければいい。そしてそれはテレビの普及と共に視聴者にそういう物の見方を作り上げた。


多くの価値観を受け入れる土壌を作るのではなく
こうでなければいけない、という形のない魔物を生み出した。



面白さは千差万別だけれど
この国はそれよりも空気を読み、流れに乗る事が大事だと言い続けた。それにより表現者も視聴者も空気を読み続けた。残念ながら、僕も例に漏れない時代があった。



しかし、今は面白いものだけに集中する様にしている。正直かなりの軋轢はある。人から離れて、そして人は減った。自業自得だと思う。

それでも、僕は間違っていると思っていない。


僕は「演劇」、というよりも「表現が好き」だ。
沢山の出逢いと感情を貰った。
それでも今も一緒に闘ってくれる仲間が居るし、支援者も居る。遠くで頑張っている卒業していった子達も居る。

同じ地方で面白い作品を作り続けている人達が居る。
以前、先輩の劇団の方達に「一緒にこの地域を盛り上げよう」「その人を頼む」と言われた事がある。
僕は、その時の約束を忘れていない。
やり方は変わったけれど、その時に自分にもう一つ誓った。
僕は面白い作品を作り続けて行く。
そして時代とマッチした演劇を生み出す為に動くと。

2028年、この調子でいけば今から10年後に時代はまたひっくり返る。その時には演劇が息を吹き返す。

だから、演劇をやる人は希望を失わないで欲しい。その時に、十分な状態でステキな作品を届ける為に研鑽を続けて欲しい。そしてアイデアを溜め込んで、爆発させて欲しい。



演劇は弱くなったけれど、それでも紀元前から続いた大いなるコンテンツ。その生命力を信じて続けて欲しい。決して消えはしない。
演劇は何処かで人が求めているものだから。
十分、難しくて大変な、そしてステキな事をしていると思う。

『前を観て、まだ舞台は終わっていない。』




書き殴りの長文です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
決して誰かを傷付けたいものではありませんが、不快な思いをされたら申し訳ありません。
僕の言葉の扱いが下手くそなのだと、どうかご容赦して頂きたいと思います。