自分が飽きられるだろうという強迫観念はよく分かる。度量の狭さは自覚しているので、恋人がいる時は心のどこかでそれに怯え、現実のものとなる。他者がいることで愛は成立してそれは相対であり、邦題はパラドクスといえる。時間という軸は絶対で、それに逆らう人、それを歪ませる映画。
他の女に目移りする恋人のものをしゃぶっても機能しなかった。彼女は自分ではない他の女を想像しろといってことを済ませる。翌日、彼の前から忽然と姿を消した。男は根元に割れ目のある木を蹴る。象徴と模倣だろうか。去っていった彼女を忘れることができず、誘惑を頑なに拒んだ彼も時が経つにつれて欲するようになった。しかし常に邪魔が入る。
彼、ジウは彼女、セヒとの思い出のカフェを訪れ、そこでスェヒという女性に出会った。スェヒはジウから永遠に愛されるために整形したセヒで、新たな女スェヒとしてジウの気を惹こうと接近した。セヒへの思いを断ち切れないがスェヒにも思いを馳せる、そんなジウに怒りを覚える。結ばれたら結ばれたで過去であるセヒと決別して現在であるスェヒに移行した、そんなジウに悲しみの平手打ちをする。双方が自分であるがゆえ、女は喜びを得られなかった。全ての秘密を晒し、それを知ったジウが今度は姿を消した。スェヒは根元に割れ目のある木を蹴る。
なぜ彼が行方をくらましたか、真相が分かった彼女はただ待つのみだった。否定された未来は永遠に来ない。絶対の愛は存在し得ない。