シャルルとポールのいとこ二人は同じ大学に通う間柄ではあるものの、スタイルもスタンスも正反対で“どうし”とするなら同志よりも同士だと思われる。しかし彼らは仲が良く、互いが大事に思っていた。
そういった描写ばかりだったということもないのに、シャルルは日々勉強に、ポールは日々パーティに費やしている印象を持つ。観客は当然シャルルに肩入れするだろう。地道に努力した人間は報われ、享楽主義者は最終的に痛い目を見る、アリとキリギリスのようだったら救いがあった。しかし要領の良し悪しは貫かれ、世の中は得てしてそういうものだと痛感させられる。
鼻持ちならないポールの友人たちの中で三十路越えのクロヴィスが異彩を放っていた。若者に混じり、仕事もせず、放蕩生活を送る。黒人を侮蔑するところが彼らの差別主義を端的に表している。人生を舐めきってしかしそれがまかり通り、いつの時代でも不条理は普遍だ。
クロヴィスがそそのかし、シャルルが愛するフロランスとポールが触れることで交わるシーンは、あり得ないシンパシーだと分かっていても納得させられるクロード・シャブロルの手腕。ヌーヴェルヴァーグ、カイエ・デュ・シネマ派で彼の作品は未見だったが、辛らつな視点はやはり新しい波たるゆえんか。