赤線地帯溝口健二の遺作はたくましく生きる現代女性賛歌。売春禁止法案が可決されるか否か、娼婦にとって激動の時代の中、彼女たちはそれでも体を張り続ける。そこに身を落としたには各々理由があり、しかしそれをおくびにも出さず、時にしたたかに、時に慎ましく、そんな姿にはエールを送りたい。

吉原の「夢の里」で働く女性5人は皆、他の店の娼婦もまた同じだと推測できるが、のっぴきならない理由で金を必要としている。稼ぎ頭のやすみは父親の保釈金のため、しかしそれを得た今もなお金への執着が消えず貪欲に稼ぐ。関西から来た新入りのミッキーは父親との確執から身を落とし、奔放に生きる。彼女らのビジネスとプライベートの風貌の差が激しく、やすみとミッキー以外が華やかな衣装を脱いで化粧を落とすととても夜の女に見えなかった。田舎の出のより江は嫁入りを夢見て、ハナエは乳飲み子と結核の旦那のため、夫と死別したゆめ子は息子と二人で暮らす日を待ち望む。貧しさは悲しさと繋がり、滑稽さにも道が通じる。娼婦がピエロに写った。ブラック・ユーモアのようでもあった。

群像劇が繰り広げられ、娼婦で唯一やすみだけがその上昇志向の強さでのし上がり、成功したようにも思えるが、描かれないこれ以降のことを考えると、おそらくその末路は悲しいものだろう。老いてなお「夢の里」にいる他の娼婦たちも当然寂しい。新たに生娘が門を叩く。人類最古の職業とされる娼婦が廃れる日は来ない。