奥村和一氏の国に対する目はとにかく怖かった。80にしてその眼力は、自責と憤怒が入り交じっている。スクリーンを通してでも思いの強さが分かる。もしこれほどまでの眼差しを向けられたら僕は2秒で背けるだろう。中国山西省にて上官の命令で現地の農民を殺す時、処刑を待つ中国人の憎しみの目を見られなかったという。ポツダム宣言後も彼は同様に命令で中国に残った。誰が好んで戦争を続けたいというのだ。どうして中国で国民党軍の閻錫山ために戦い、断末魔で天皇陛下万歳などと。
日本軍山西省残留問題は、戦犯を免れようとする軍司令官・澄田と、共産党軍と戦うために人員がほしい閻錫山の思いが合致したことに始まる。画策して部下を売り、澄田は自らの保身を最優先した。終戦から4年が経ち、残留兵が帰国できてからも問題は解決されなかった。日本政府は志願の残留とみなして戦後補償を拒んだ。上告した奥村氏ら元残留兵の裁判は今もなお続く。
証拠文献を探すため、補聴器をつけ杖を突きながら奥村氏は中国を訪れた。中国人から見た当時の様子を聞きたいということもあった。そこでの奥村氏の発言、後の後悔、再発見、再確認は、ドキュメンタリーでしか成し得ないドラマがある。これだけドラマティックな展開は他に類を見ない。
映画も終盤に差し掛かる頃、奥村氏は、同じく残留していた元軍人の家を訪ねる。その人は奥村氏と違い、当時の記憶を抹殺しようとし、話を拒む。このシーンは「ゆきゆきて、神軍」とだぶった。同じく戦争を経験した世代を映したドキュメンタリーで、戦争を体験した人たちは各々向き合い方が違うことを知る。想像を絶する世界であることも。人格が否定される世界も。地獄も。