固定されていると思ったらカメラはゆっくりと動き、冒頭の1カットは悠然と海に面した大地を舐めて、老人と子供、その老人に手紙を届ける郵便配達人を捉えた。老人アレクサンデルは1本の枯れ木を植えて、ある寓話を子供に唱える。口が聞けないその子供に水を毎日やれと促した。郵便夫のオットーは神を信じ、無神論者のアレクサンデルと議論を交わした。崇高のようでしかし無邪気な子供のほうが達観しているかの如く、長いカットは続く。
家族と友人が集まり、アレクサンデルの誕生日は穏やかだった。しかし、空に轟音が鳴り響いて、テレビから核戦争のニュースが流れると、画面は単色に変わり不穏になる。彼の妻アデライデは尋常でなく取り乱した。さながら白痴。アレクサンデルは全てを犠牲にするからと神に助けを請う。オットーもまた狂気に満ちた言葉を吐いた。
アレクサンデルの懺悔は自らのみが助かるためのエゴのように聞こえたが、そうではなかった。眠りから覚めて彼がとった行動は常軌を逸し、今まで見させられたものは夢か幻か、はたまた忠実なる奉公か。締めくくりに記されたアンドレイ・タルコフスキー監督の「この映画を親愛なる息子に捧ぐ」という言葉がなおさら怖い。