殺し屋のリャンソンは仕事を終えて、沖縄の隠れ家で自適な生活を送っている。プールを愛し、料理を楽しみ、孤独だが気ままな暮らしぶりを彼のナレーションを入れて映し出す。自己肯定、自画自賛の、ブログ(これを含む)のような語り口だった。一方そのリャンソンが気になる人物、土曜日のコインランドリーで顔を合わせる女性・由紀子は、昼は仕出し弁当店、夜は道路の交通整備員として、揃って孤独な毎日だが語られない。優雅で秀でたものがあれば饒舌になり、質素で満たされていなければ無口になるのは、理にかなっている。
影を持つ由紀子に惹かれ、リャンソンは彼女に接触した。二人の、単調だった日々に変化が見られる。時系列で物語が進む中、同じ場所でのシーンではカメラの位置を変えず、心境の移ろいが浮き彫りになった。由紀子を想うリャンソン、その彼を想うプールの監視員サヤ、その彼女を想う同僚と、片想いは連鎖する。ストーカーのようにそれぞれが対象を追い、どれも上手くいくことはなかった。しかしみずみずしいのは、沖縄の空気と希望の光が差していたからだと感じる。