私の中で、「水玉の女王」といえばこの人しかいない。
誰でも知っているモチーフ、水玉を世界一描いているのでは?
とも思われますが・・・。
良く知らない時には、怖いくらいのインパクトを感じて
おりましたが知れば、知るほど凄い人。
草間彌生。
しばらく前にもNHKの番組を見ながら物凄いエネルギーを
感じたのも事実です。
実際の創作風景でも、少女のような感覚で自分の作品について
「素敵、これが好き!」といっている姿も82歳の女性とは全く
感じず・・様々な意味合いで引き込まれましたが、
創作始めの当初から今に至るまで、重要なモチーフになっている水玉。
「ピカソでもマチスでも何でもこい!水玉ひとつで立ち向かう!」
と一切を賭けて反旗を翻すつもりでいたという。
一言ではいえない壮絶さを乗り越えて作品を創っているという
こともあるし、彼女にとって水玉をいうのは、身を守るためのお守りの
要素もあったようです。
幼い時から、幻聴、幻覚に悩まされていたことがあり、草花が人の
顔に見えたり、話しかけてくるように感じたり・・
そんなものを見たり、感じた時には、走りかえって、
見たものをスケッチブックに
次から次に描き写していったのだそう。
水玉は彼女をそういう怖いものから、遠ざけて守ってくれるものでも
あったようです。
13歳から絵を描き始めて、そのルーツは精神的な病を治す為
でもあり、ご本人曰く「私の病気は、私の芸術の分子でもあります、
私が芸術家になったのはこの病のためでもあります。」と
幾つか書かれた著書の中、自伝「無限の網」にもあります。
世界的アーティストとして活躍されていますが、
50年代当時、古いしがらみから離れたかった草間さんは
この人なら助けてくれるのでは?と思い立って、
米国人アーティストのジョージア・オキーフに手紙を出して、
文通が始まったということです。そこからニューーヨークへ渡米。
※こちら、写真はお借りしました。
渡米後も飢えや、空腹など様々な困難もありながらも耐え、
2年後「オブセッショナル・モノローグ」が成功。これを機に、
草間さんの名前は全米に知られることになる。
「人体に水玉模様を描く事で、その人は自己を消滅し、
宇宙の自然に帰る」という彼女の思いは、
60年にさしかかり、
ヒッピー文化とも重なり、欧米では熱烈に受け入れられる。
17年間のNY生活から帰国後は色々なバッシングがあったり、
不安定な生活との闘いもあったようですが、03年には、
フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、09年には文化功労者
となる。04年クサマトリックスでは52万人動員。
「南瓜は見るからにおおらかで、人々が南瓜のような
ユーモラスな人生を生き抜いてくれたらと願っています」
との思いが沢山つまった大きな南瓜。
これってよく雑誌でも見かけますが、インパクト大。
わたしも瀬戸内海を訪れたら是非、実際に見てみたい!
触ってみたい!!
ある雑誌には
「私は歳をとりましたが、これから死ぬまで私と世界平和の
ために闘い続けます」
とありました。
平和を求める為に闘いは続いていくと。
11年5月よりマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターを皮切りに
パリのポンピドー・センター、ロンドンのテート・モダン、ニューヨーク
のホイットニー美術館を巡回する大規模な個展を開催中。
上記展示の作品を創る様子を番組で観たのですが、、
本当に凄くて・・感動的でした。
水玉って、、こんなストーリーがあったのねと、、感慨深い
気持ちにも。
こんな言い方どうなのかと思いますが・・・自分の作品を観て
「あ、私これが好き、やっぱ最高に素敵」と喜ぶ姿が
とても可愛らしくも見えてしまって、きっとこの方、頭の中は
ずっとこんな風に世界が広がっていて、歳をとらないのでは?
と思えたほどです。
わたしも是非開催中の「永遠の永遠の永遠」観たいなと
関西に行く予定ないかな~とか?笑。
そんなこと考えていたら、予定が生まれるのでは?とか。
ちょっと現実逃避してブログ書いていますが・・
そろそろ、、現実に戻らなくては・・・・・
というわけでお仕事します。
こっちも水玉??(笑)
とにかく、パワフルな水玉なのでした。
本日も素敵な1日を