四条畷神社にいってきました。


四条畷神社とは、楠木正行を主祭神としており、明治23年に創建されました。


【小楠公 楠木正行公の史跡】楠木正行公御墓所にいってきた
http://ameblo.jp/fist-history/entry-12059351037.html


創建の中心となったのは住吉平田神社の神主、三牧文吾らで、住吉平田神社の南隣に造られました。

四条畷神社を創建してから、四条畷駅が開業するなどし、神社のみならず地域は大いに栄えました。






逆光で見づらいですが、こちらの鳥居は天下の朝日新聞様が建てられました。

今では考えられないことですね(笑)

昔の朝日新聞は立派だったということです。





四条畷神社の入口です。





四条畷神社の社殿です。

御祭神である楠木正行(小楠公)を筆頭に、四条畷の戦いで散った楠木正時や和田賢秀など一族郎党二十五柱が祭られています。


【小楠公 楠木正行の史跡】和田賢秀公墓所にいってきた
http://ameblo.jp/fist-history/entry-12059351553.html





拝殿。






拝殿に隣接する御妣(みおや)神社です。

こちらには賢夫人の誉れ高い、楠木正成公の妻であり、正行公の御母堂である久子が子育ての神様として祭られています。

久子夫人をお祭りする場所は他にも、


【大楠公 楠木正成公の史跡】楠妣庵観音寺に行ってきた
http://ameblo.jp/fist-history/entry-11975095824.html

がありますが、廃社となった楠母神社もあります。

【大楠公 楠木正成公の史跡】廃社 楠母神社跡にいってきた
http://ameblo.jp/fist-history/entry-11975097518.html





楠木正成戦死の報を聞いて、自決しようとする正行を諌める母、久子の像です。

先の楠妣庵観音寺に同じ像があります。





こちらは桜井の駅で父正成と別れる正行の像です。

【大楠公 楠木正成公の史跡】史跡 桜井駅跡にいってきた
http://ameblo.jp/fist-history/entry-11983209390.html

桜井駅にあるのと同型だと思われます。






楠木正成公と妻久子、菅原道真公を奉祀する楠天神社です。文武両道と智仁勇の三徳が称揚されています。




淀川の治水に生涯を捧げた大橋房太郎の記念碑です。

別名を「治水翁」とも言います。

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大橋房太郎 おおはし-ふさたろう

1860-1935 明治-大正時代の治水家。
万延元年10月14日生まれ。家は代々摂津東成郡(大阪府)放出(はなてん)村の庄屋。明治18年の淀川大洪水を機に,治水工事への取り組みを決意。20年放出村戸長となり,のち府会議員,淀川治水会副会長をつとめ,36年間改修工事に尽力した。昭和10年6月30日死去。76歳。号は士房。
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元々は鳩山和夫(鳩山由紀夫元首相の祖父)の書生として、法律家を目指しますが、明治18年の淀川大洪水により一万数千戸が流失、数百名の溺死者を出すという惨事を見、生涯を淀川治水に尽力することを誓い、大阪へと戻ります。

明治29年に河川法が制定され、淀川改修費が出ることが国会で決まったとき、思わず房太郎は「万歳!!!」と大声を張り上げたため、守衛に場外へと出されるという一幕があったと言います。

淀川治水のため、私財を投げ打ち、生涯清貧を貫いた方です。


実は、四条畷神社に楠公慰霊塔という慰霊碑があるそうなのですが、私が訪問した日は気温が37度を超える猛暑で、フラフラになっていたこともあり、完全に失念していました。。。

また何処かで時間がとれたら、楠公慰霊塔を撮影するため、訪れたいと思います。