ユニマットリバティ鈴木相談役、お疲れ様でした | いっちゃんのひとり言

ユニマットリバティ鈴木相談役、お疲れ様でした

この度、ユニマットリバティの相談役でいらっしゃる鈴木秀夫さんがご退職されるということで、当社にご挨拶にいらっしゃいました。


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鈴木さんは野村グループの常務を経て、高橋洋二代表のユニマットグループの社長を歴任。鈴木さんとは私が野村證券勤務時代の上司として出会って以来、かれこれ18のお付き合いになります。


当時私は、営業企画部に在籍しており、鈴木さんは首都圏本部の取締役本部長をされていました。


その頃、野村證券では、首都圏本部の他に東部北陸本部近畿本部東京本部中国・四国本部、九州本部など全部で6本部あり、その6本部の筆頭本部付は全て部長が務めていました。


つまり、大店の支店長を経験された役員の補佐的なポジション、それが筆頭本部付です。



私は当然、首都圏の本部付もそうした部長クラスの方が任命されるものだと思っていたのですが、なんと鈴木さんから「市村を筆頭本部付にする」と仰せ付かったのです!


その時、私は32,3歳で課長代理。課長になっていないどころか、課長になる年齢にも達していなかったのです。


野村での肩書きが課長代理にも関わらず、鈴木さんは私を筆頭本部付に任命して下さったのです。


鈴木さんは他の役員から、「本当に市村でいいのか」と何度も聞かれたそうですが、「市村は部長みたいな顔をしているから問題ない」と答えたそうです(笑)。


その後、鈴木さんが本部長、30そこそこの私が首都圏本部の筆頭本部付として、二人三脚の営業推進がスタート。


鈴木さんとは寝る間も惜しんで本部付の仕事に邁進し、毎月、首都圏本部の営業推進の企画を出し合い、他の本部とは違う斬新な営業戦略を練りました。ほとんど毎日、朝6時から深夜の1時までアーバンネットにいました。



野村證券は同業他社ではなく各本部間の競争、支店間の競争でした。自分の在籍する支店の成績が上がれば本部の成績も上がる訳です。

首都圏本部の支店は当時32店舗あり、32人の支店長がいました。その32の支店に、毎月新しい営業企画案を打ち出して次々と実践してもらいました。


ホットスプリングキャンペーン、アーリーサマーキャンペーンなど、季節提案はもちろん、色々な新企画を提案していきました。


一年間、筆頭本部付として鈴木さんにお仕えさせて頂いた結果、見事6本部の中でトップの成績を収めることが出来たことは、忘れがたい実績です。

トップになれた要因は…

しっかりと現場の支店長と会話し、キャンペーンの主旨を理解して頂き、本部      

  一丸となれた事

 毎月、顧客にマッチしたキャンペーンを打ち出せたこと。

 毎月月末に、頑張った支店・社員に対して鈴木さん自らが表彰会を開催し、表彰状を手渡した事

 キャンペーンの進捗状況(リアルな順位)を、次の日の朝一番には入手できる体制を本部で作り、支店をサポートできた事


本部のスタッフと毎月知恵を絞り、様々な工夫を凝らしました。

中でも、私を支えてくれた本部スタッフには、今でも感謝しています。


パソコンの無い時代でしたから、ワープロで32店舗の数字をまとめるのは多大な労力を伴いました。18時に窓口を締め、支店からデータがあがってくるのが夜20時。次の日の朝一番に共有できるよう、毎日ランキングや進捗状況を拾い出して表計算するのですから、本部スタッフの女性は大変な作業だったと思います。



しかし、その日の数字が次の日の朝には分かるからこそ、皆が頑張り次々とキャンペーンを打ち出せていけたのです。


そうした“リアルなデータ管理”が、売り上げアップに繋がりました。


さらに「他の支店には負けないぞ!」という健全な競争意識が相乗効果となり、支店一丸となって数字を上げるために新しい資金を入れてきたり、顧客開拓をした結果、6本部の中で一番達成率が高くなったのです。


また、私が鈴木さんに仕えて感銘を受けたことは、支店長の人事について身体を張って人事部とやりとりする姿でした。



例えば、人事部はA支店長に対して評価が低いとする。しかし、本部長として鈴木さんは「いや、そうではない」と否定する。


一緒に仕事をしていく中での評価は、人事部が机上で見ている評価とは違うのだと力説される。それは現場で苦労していることを知っているからこそ言えることです。


長い時には人事部長と45時間に渡り、一人の支店長の評価について議論を交わされることもありました。



そうした鈴木さんの仕事ぶりは、一生懸命頑張っている支店長に対し、本部長が代弁して少しでも評価を上げようとする熱意に溢れていました。


上席の者の意識が薄ければ、頑張っても頑張らなくても人事部が評価することになってしまいます。そうしたら、直属の親分の言うことを支店長は聞かなくなってしまうでしょう。


「人」を大事にする鈴木さんにお仕えした日々は、私に多くの学びをもたらしてくれました。



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実は私が野村證券からKOBE証券へ転職する時、真っ先に相談させて頂いたのも鈴木さんでした。



相談した時、鈴木さんは野村證券からユニマットグループへ転職されており、「野村證券は大組織。その看板やバッジをはずした途端に仕事は厳しくなる」とアドバイスを頂きました。


野村證券のブランドがなくなれば、お客様がお付き合いを辞めることも出てくるだろうし、いくつもの壁が立ちはだかるだろうと」と懸念されました。



野村證券での実績も、野村のバッジを外せば無くなる」と。


市村は、並々ならぬ営業力を持っているが、どんな難関も突破していける強い精神力がないなら、野村の中で頑張っていったほうがいいのではないか」と率直なご意見も賜りました。


しかし、「そうしたことを踏まえた上で独立するのだったら応援する」と背中を押してくれたことで私の腹は決まり、KOBE証券へ転職したのでした。


それからというもの、年に2、3度は鈴木さんのところにお伺いして野村の昔話をしたり、不動産、飲食、金融やリゾートにまつわる色々な意見交換をさせて頂きました。


18年のお付き合いですが、いつも穏やかな鈴木さんは回りを包み込むような優しい雰囲気をお持ちで、兄貴分的な存在として今も慕っています。


67歳になられて今回現役を退かれますが、今後は今までの激務を支えてくれた奥様とゆっくり得意の英語を活かして世界をご旅行されてはいかがでしょうか。


南青山の「リストランテ・ダ・ニーノ」でシチリアン料理を食べながら、そうした犒いの言葉をかけさせて頂きました。


私が心の支えにしていた大先輩である鈴木さん、本当にお疲れ様でした。



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