~夏の娘の夢~
ドキドキしていた。運命のその日を。傍から見ればちょっとした、私にとっては大切な、恋の一歩のこの日を。
8月の暑い夏の日、高校最後の夏休みに、私はバイト先の先輩をデートに誘った。デートと言っても、バイトが終わった後に映画にでも行きませんか?とかのちょっとしたことだったけど。
それでも私はこれを言うのに1ヶ月かかり、当日になるまでの1週間も興奮しすぎて熱中症になったり、今こうしてバイトが終わろうとしているときも最早仕事なんか手に付かないほどの心境だ。おそらくかなりキョドってるだろう。
そして今日のバイトが何とか終了し、残暑厳しい夕方に私は先輩と並んで帰り道を歩いている。今日はただ映画を見るだけじゃない、私の思いを少しでも、1割でも、いやせめて円周率の少数部分くらいは伝えるんだ。そのためには映画にかこつけて先輩にあんな事やこんな事を…
などと考えていたら、先輩が衝撃の一言を私に浴びせてきた。
「あのさ~、今日の映画、悪いけど用事出来ちゃったからキャンセルでいいか?」
「え…」
私の血の気がさっと引いた。頭の先まで登っていた興奮が足のつま先から出て行ったかのような脱力感と虚無感。
私はそれでもめげない。
「あ、じゃあ今度シフト一緒のときに…」
「あ~、わり、しばらく大学の研究があって無理なんだわ」
「あ~、そう、なん、ですか…。」
考える。考えて…、
「じゃあ仕方ないですよね、先輩、頑張ってください」
私は折れた。ここで無理に縋ってしまっては先輩への心象が悪くなるだろうし、先輩の邪魔はしたくないと言うのも本音だったから。
私達は別れた。帰り道は意外とすぐに分かれるから仕方ない。
今日先輩と話せたのは想定の40分の1、たったの3分だ。けど…、それでもいい。好きな人と少しでも話せたんだから、私は喜ぶべきなんだ、きっとそうだ!
…などと考えたところで、私の空回りまくった気合と時間は抜けたまま。先輩と別れて5秒で私は完全な虚無感に包まれて帰る足取りも危なっかしい。振り返ってみれば、先輩は一度もこっちを見ずに颯爽と帰っていた。やっぱりよほど忙しいんだな。いつも忙しくしているのは私だって知っているから。
と、そうやって私が抜け殻に近い状態で道を歩いていたところ、突如私の目の前の景色がぐにゃっと歪んで見えなくなった。一瞬体が思いっきり左方向に押し飛ばされる感覚と一緒に。
……あ、車に轢かれてるし、私。
冷静に自分のことを理解できたのは、気が付いたら無傷でその吹っ飛ばしたであろう車の前に私が座っていたからだ。打ち所がとても良かったのか、体に痛みは全く残っていない。
車を運転していた人が慌てて降りて来て私に声を掛けてきているようだけど、私は今実はそれどころではなかった。何やら妙に頭の中がすっきりとして、そして今私の頭の中は再び先輩への思いでいっぱいになってしまっていたからだ。本当に色んな意味で打ち所が良かったんだね、私の恋心のきっかけになってくれたんだから!
そう思った私は、事故にあったことなんかすっかり忘れて先輩の後を追った。募る恋心が私の体を軽くして、アニメ的なスピードなくらい速く私は先輩の後姿を捕らえたのだった。
アドレナリン全開な筈の私だけど、先輩に声を掛ける事はしなかった。さすがにそこは理性と言うか恥ずかしさが安全装置となっていて、私の思考は、取り敢えず先輩の後をばれないように付いて行く、という少女漫画のようなことを私にさせていた。漫画で見ると暗い行動だとか思うけど自分でやってみると案外これはこれで楽しい。好きな人が常に視界にいるという嬉しさが先行しているようで、周囲の視線なんか全く気にならないのだ。
そうして私は10分ほど先輩の姿を堪能した。そろそろ先輩の家に着く。何でそれを知っているかというと、何処の辺りに住んでいるかは普通にバイト先で話に上ったりするからである。とは言え私が直接話した訳じゃないけれど。…っと、この角を曲がれば先輩の家だ。本当に家に急いでいたみたいで安心する。
…が、しかし。
うぅあいぇえ!?先輩の家の前に知らない女の子がいますけどぉお!?しかもなんか派手な格好でいかにもこれから遊びに行っちゃいますよぉ~、的なばっちりメイクの色っぽい女の子ぉ!!
あ、こらちょっと、何先輩に笑顔振りまいちゃってるのよ!あ、先輩も(顔は位置的に見えないけど)嬉しそうに話しかけちゃってるし!はわぁぁぁぁ!せ、先輩肩まで抱いちゃってるじゃん!何、ボディタッチOKなわけぇ!?私なんか全然触ったことも触ってもらったことも無いってのにぃ~っ!!
…ん?え?あ、ちょっ!何で二人して家に入っていこうとしてるの!?え?って、何?もしかして遊びに「行く」んじゃなくて、遊びに「来た」ってことぉ!?ちょ、おいおいおいおいおいそれはちょっとあかんて!私都民だけど関西弁出ちゃうよ、あかんて!いやまあとにかく、とにかくさぁ~!
「せんぱいっ!!」
止めなきゃいかんでしょ、あかんでしょ!
「ん?何おま、ええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
「きゃぁぁああっ!」
ちょ、先輩驚きすぎでしょ、確かに衝撃の現場だけど!…ってか何で女まで驚く。
「せんぱ~い…、これってどういうことですかぁ~?」
「ひっ!い、いや…、これは、ってか、おまっ、お前それ…!」
さすがに怨めしい聞き方になっちゃうけど、仕方ないよね~。だってこれって完璧な裏切りだもんね~、遊ばれたってことだもんねぇ~。
「このひと~…せんぱいのかのじょですかぁ~?かわいいかたですねぇ~…」
「ひぅっ!」
私が見ただけで何か震え上がってるんですけど?…あれ?さっきまであんなに軽快だったのに今何か足がすんごく重たいなぁ?脚が鉄になったみたい。
「せ~ん~ぱぁぁ~い…?」
「うおぉわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃぁあぁぁぁあぁぁっ!っ……。」
どうして二人して人の顔見て悲鳴上げるんだろうなぁ?あ、彼女倒れちゃったよ?
「えいが~、みにいきましょ~ぉ?」
私の最大級の笑顔で、先輩に笑ってみたよ?きゃ~はずかし~ぃ!
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
…あ、あれ?先輩?せんぱ~い?何で泡拭いて倒れてるんですかぁ?さすがに私じゃ先輩の体を持ち上げられませんよ~?
う~ん、まあ、いっか。映画には行けなかったけど、こうして先輩にくっついていられるし。まあ、横の女の人が邪魔だけどね~。この人が私ならいいんだよね、きっと。
ん…?おお!?何か先輩の家のドアに映ってる私の顔、もの凄い汚れまくってる!ってか真っ青!?あ~、そりゃぁ叫んじゃうのかなぁ~。でもそこまで変じゃないと思うんだけどなぁ~?
…え?はい?何ですか?白い服着たおじいさん。涼しそうですね~。は?この女の人になりたいか?そりゃ~なりたいですよぉ、私より確かに可愛いし。…はい?なれるんですか?またまたそんな~。…ちなみにどうしたらいいんですか?
「…なんだってんだよ、さっきのは」
「何だったんだろうね」
「マジ勘弁してくれよ。あんまり得意じゃねえんだよな~、ああいうの」
「そうなの?でも今日見に行くのホラーだよ?」
「え~…、やめねえ?」
「だ~め。絶対に行くの」
「何でそんなに映画推しなんだよ…。…ん?何か人が集まってねえ?」
「あ~。事故でもあったんじゃない?」
「…………」
「…………」
「……ま、さか、だよなぁ?」
「…そう、だよね~、きっと」
「……見てくか?」
「ええ~?いいよ~。それよりも早く行こ?」
「…そだな。行くか」
「うん!」
だって…、きっとそこにいるの、私だから。