~午後3時の人形館(ドールハウス)~
ちょっとお遣いに行ってくるから待っててね。
そんな事を言って家に娘を待たせてしまっているわね。実際に今日作るお菓子の材料を補充しに行っていただけなんだけど。
まだあの子は3歳だから、母親の私がいてあげないと不安がってしまうわね、きっと。昨日だって、少しお隣さんと立ち話を外でしていただけなのに戻ったら泣きじゃくっていたもの。早く帰ってあげないと…。30近くなると、母性とかが今更生まれてくるのかしらね?
…それにしても、ここはどこなのかしら?
歩き慣れている近所を歩いているはずなのに、私の家が見つからない。見たことの無い家ばかり…。
知らないうちに知らない場所へ来てしまったのかしら?…そんな、小説じゃあるまいしねぇ。
さっきまで私は、スーパーで小麦粉と卵を買って帰っていて、その途中で、何となく目に留まって興味を引かれた小さな玩具屋さんに入ったのよね。アンティーク風だけど割と安い人形や玩具の家なんかがあって、娘にいいかな~?なんて思っていたのよね。奥にあったドールハウスが私は結構良いと思ったのよ。味のある外観というか、他のよりもリアルな造りがどことなく…ね。
でも、それで普通に、その店から出て今帰っていたのよ。ソウダッタハズヨネ、ウン。
…もう3時過ぎちゃってる。今頃あの子、泣いちゃってるわね。お腹が空いちゃってか、寂しがってか分からないけど。でもいい加減本当に家に着いてもおかしくないくらい歩いているんだけどな…。やっぱり周りを見ても知らない建物ばかり…
…あら?あの家、って言うか…喫茶店?
…やっぱりそうだ、さっきのお店にあったドールハウスにそっくり!外観といい、雰囲気といい。うんうん、この「周りが森の木々に囲まれてる感じ」なんか正にそうね。素敵だわ。
えっと何々…、「午後3時のドールハウス」?変わった名前ね?営業時間が3時からってことじゃあ…ないみたいね。
あ~、うん。娘が待ってる。待ってるんだ・け・ど…。
…ドア、開けちゃった。
カランカラン、っていう小気味良い鈴の音がまた素敵な木造りのドア。内装も木造の2階建て。上が住居になってるのかしら?吹き抜けで階段の先の廊下くらいまでは見えるのね。部屋が2部屋あるみたい。
「いらっしゃいませ」
可愛らしい声がしてそっちを向く。そこには1階の広々とした喫茶店スペースで微笑んで私を迎えるエプロン姿の女の子がいた。
年は16、7くらいの長い黒髪が素敵な、顔の造形も端整な、素直に美少女と形容できる女の子。そのまま解釈すれば、この喫茶店の従業員なのだと思う。
「お席の方へどうぞ?」
言って、女の子は私をカウンター席へと誘う。普通にテーブル席も沢山あるのだけれど、どれも空席。つまりはお客さんは他にいなかった。
「あ、私別に…」
長居する気も無かったので私は固辞しようとしたけど、女の子の「どうぞ?」という素敵な笑顔につられてついつい誘われるまま座ってしまった。何だかこの子からは不思議な魅力を感じてしまうわね。
「ご注文は?」
カウンターの中で女の子はコーヒーカップを優しく磨きながら私に尋ねる。縁ばかり磨いているように見えるけど、気のせいかしら?
白紙のようなメニューを見て、私は普通にコーヒーを注文する。カウンターの後ろの棚にあるコーヒーメーカーを使って作ってくれるみたい。年季の入っているような、古めかしいものに見える。
コーヒーを待つ間、店内を眺めてみた。BGMとかは流れていないけど、ほぼ無音のこの静けさが落ち着いた木造のこの内装に良く似合う。店内の照明器具が数個の裸電球というのはレトロなのか手抜きなのか分からないけれど、暗い外のことを考えれば雰囲気が出ていると言えなくも無いかもしれない。
うん、気に入ったかも。今度娘も連れてきたいかな。
「お待ちどうさまでした」
にこやかな笑顔で女の子がコーヒーを差し出す。随分と早く出てきたなぁ。まるで私がコーヒーを頼むのが分かっていてあらかじめ出せるように用意されていたみたいな。
一口飲むと、とても芳醇な香りが口に広がった。液体が食道を通り胃の中を伝わって流れていくのが自分で分かる。飲み干すのにそう時間は要らなかった。
「ん、おいしい」
「ありがとうございます」
私のこぼした感想に女の子は花のような笑顔で答えてくれる。見た目通りの素敵な声が私の顔をも笑顔にしてくれた。
そしてふと飲み干したカップに目を落とすと…
「あら?」
カップの中にコーヒーが注がれていた。今飲んだばかりで頼んでもいないのに。
「あ、おかわりは自由なんですよ?」
女の子が微笑みながら言った。
そんな、1杯でよかったのにわんこそばのようにコーヒーを注がれても…。
それ以前に、家に帰る途中だった。いい場所もおいしいコーヒーも見つけたことだし、娘をこれ以上待たせるのも忍びない。ここは帰るとしよ…
「あれ?お客様、その袋の中身…」
目ざとく、女の子が私の買い物袋を見つける。
「小麦粉、卵…。お菓子でも作るんですか?」
「ええ、娘に作ってあげるって約束で」
「娘さん?何歳ですか?」
「3歳よ」
「わあ、可愛い盛りですねっ」
「ふふ、そうね」
自分の子を可愛いと言われると、やっぱり少し嬉しい。
「お菓子って、クッキーか何かですか?」
女の子に聞かれ、私は普通に
「ううん、ケーキを作ろうかなって」
答えていた。
すると女の子はとても目を輝かせて私に言った。
「だったら、ここで作って行ったらどうですか?」
「え?」
「私、ケーキ作り、見てみたかったんです」
カウンターから身を乗り出してまでそう主張する女の子。少し私も引いてしまい、遠慮がちに
「でも、娘が待ってるからもう帰ろうかと…」
しかし女の子は諦めずに私に言う。
「そんな事言わずに、お願いします。お店のためだと思って!」
「…え?」
つい言ってしまってバツが悪そうな感じに女の子が続ける。
「ここ、私が一人でやってるんですけど、見ての通り、ケーキとかって置いてないんです。作りたくても作れなくって。だから、作り方を覚えて、出せるようになれたらいいなとか思ったんです。ダメ…でしょうか」
微かに目を潤ませて真摯に言ってくる。確かにさっきのメニューには食べ物系の品は書いていなかったし、それよりもここを一人で切り盛りしているという事実に少なからず私は驚いた。こんなに若い子が、失礼ながらあまり流行っていなさそうなこの喫茶店をやっているなんて苦労もありそうだし。
それを考えたら、少し協力してあげてもいいかななんて思えてきてしまう。娘を待たせるのは心苦しいけど、待たせるのはいつもの事みたいなものだし。ここまで待たせると何か、もう少しぐらいいいよね、とか母親失格みたいな事もさらりと考えられる。
「…分かった。簡単なものだけど作ってみるね。出来たものは娘に持って帰るけど」
私が折れてそう言うと、女の子は満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます!」と言ってきた。それほどまでに喜ばれると、やり甲斐もあるというものかな。
私は女の子からエプロンを受け取り身に着ける。立ち位置も入れ替わり、私がカウンターの中へ。調理を始める。
自慢じゃないが、それなりに慣れている私はケーキぐらいすぐに作れる。幸い冷蔵庫の中身は豊富にあり、買ってきた材料を使わなくてもいいくらいだった。これだけあって何故作れないのかが疑問なくらいだけど。若い子だから作り方を知らないだけなんだろうな。
女の子は私の作業を楽しそうに見ていた。後でレシピを書いてあげようとも思ってるけど、きちんと見て覚えようとしているみたい。真面目な子そうでなによりだ。
気付けばあっさりとケーキは焼きあがっていた。私自身いつ作ったっけと思うくらいあっという間でびっくりだ。絵に描いたような、むしろ模型のようなきっちりとしたショートケーキを切り分け、女の子のために一切れ皿に乗せて差し出した。
すると、
「…あら?」
目の前にいたと思った女の子がドアの前まで移動していた。そして不敵な笑顔を見せながら私にこんな事を尋ねる。
「今日は、何月何日ですか?」
意味も分からず私が今日の日付を告げると、女の子は
「そうですか…」
と言って、ドアを開けて出て行ってしまった。バタン、カランカラン、という音を立てて。呆然とした私を残して。
「……え?」
さっぱり分からない。何がどうなったの?
私は女の子の後を追いかけようとドアノブに手をかける。すると、
「…っ!開かない!?」
ドアノブはうんともすんとも言わない。回りもしない。鍵穴らしきものも無いのに鍵がかかって開かない。
私はパニックになる。静まり返った家の中で、私の立てる音だけが響き渡る。
2階へ駆け上がり部屋を空けてみようとしたが、入り口と同じように開いてくれない。1階の窓を開けてみようとしたが、窓も開かない。そもそも開けるところが見当たらない。乱暴に椅子で叩き割ろうとしたけど窓は何度やっても割れなかった。頑丈な窓だ、椅子も。
「もう…なんなのよ」
と、慌て疲れて座った私の目の前のテーブルに、2枚の手紙らしきものが置いてあるのに気付いた。
そこに、書かれていた。
『ありがとう。せいぜい頑張って。 ありすより』
それだけでは分からなかったけど、もう1枚を見て私は全てを理解した。
ああ、私は、嵌められたんだ、と。
数える意味の無い時が経ち、私は、お客様を迎える。
あの時、私がされたのと同じように。
「ルール」に従って、私がここから脱出するために。
次の「ありす」を迎えるために、私は「ありす」を演じる。
完璧に、狡猾に。
理解不能な、意味も目的も不明な、このドールハウスを。
午後3時に触れた、お客様に対して。
「ありす」という、人形として。
「いらっしゃいませ~」