ピピウが生まれてから41 ~ストマを閉じてから~ | 憧れの(?)Italia Firenze生活

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イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

イタリア、フィレンツェにて、イタリア人の夫と暮らしています。

2017年春に第一子となる息子ピピウ(仮名)を出産。

ただ、26週というかなりの早産で生まれてしまった息子。

息子が生まれてからNICUを卒業するまでの過去の出来事を当時の日記をもとに書いています。

 

 

~ストマを閉じてから~

 

ストマ閉鎖手術を受けたのが7月半ば。

 

術後、💩は順調に出始めました。

 

ただ、絶食状態で出る💩は酸性なのか???ピピウのおしりが真っ赤に。

 

💩をする度に痛いようで、頻繁にオムツ替え、

オムツを替えるときにおしりはアーモンドオイルをコットンに含ませて拭いて、

おしりの真っ赤になっている部分にドクターに処方された薬を塗りました。

 

 

手術後、1週間から10日は絶食になることは、これまでの経験から私たち夫婦も知っていました。

 

今回は手術から8日でミルク再開の指示。

 

ミルクを再開するには…

3時間おきに鼻から胃に入っているチューブにシリンジを繋ぎ、

シリンジを引いて胃に残留液がないか確認します。

術後はだいたい濃い緑色の胆汁が出てきます。

これまでの経験上、術後濃い緑色の胆汁が薄い緑色になり、黄色になり、透明になり…

シリンジを引いても何も出てこなくなる。

何も出てこなくなればミルクが再開です。

 

ところが、今回はその胃の残留液がなかなかなくなりません。

術後1週間ほど経っても胃の残留液の確認をすると、

黄緑色の液が胃からチューブを通してシリンジにどんどん入ってくるのです。

(その作業も私がしていました。)

 

ただ術後8日目にはだいぶその量も減ったので、3時間おきに5mlのミルクが再開しました。

 

 

たった5mlのミルクですが、それでもその後💩は黄色になり、おしりもだんだん回復していきました。

 

ただ、胃の残留液がなかなかなくなりません。

 

5mlのミルクしか与えていないのに、3時間後に胃の残留液を調べてみたらシリンジに入ってくるそれは7ml…。

 

消化できてないってことですよね…。

 

本来ならすぐに少しずつミルクを増やす予定だったようですが、ミルクが5mlから8mlになったのはその3日後でした。

 

よって、このころから私の母乳をピピウに与えるのはストップ。

 

ほとんど消化する必要のない“プレゴミンSP”という粉ミルク(?)になりました。

 

ほんの数mlでしたが、私の母乳を哺乳瓶で飲んでくれてるのがうれしかったのですが…。

消化できないなら仕方ありません。

大切なのは、ピピウに一番いいミルクを与えること。

ピピウが成長すること。

 

ただ、やっぱり搾乳するモチベーションはかなり下がります。

このころ、だんだん母乳も出にくくなっていました。

 

でも、ドクターと看護師さんに「またいつ母乳に切り替えるか分からないから、搾乳は続けて。」と言われ、

夜中3時の搾乳は止めましたが、それ以外の時間帯の搾乳(3時間おき)は続けました。

 

 

 

 

胃の残留液の問題以外は順調でした。

 

ストマを閉じてから体重増加もこれまでより順調でした。

 

生後133日目、ストマ閉鎖手術から11日後にはついに3000gに!

 

 

 

 

 

7月の終わりくらいから交代でバカンスへ行くNICUの看護師さんたちやドクターたち。

 

バカンスへ行く前にあいさつにきてくれて、「おそらく、また会えるだろうけど。」と。

 

看護師さん、ドクターがバカンスへ行くのは3~4週間。

 

だから後1か月入院は確実だけど…その後もしかしたら???

 

そんな雰囲気をドクターや看護師さんの言葉からすこ~し感じた7月の終わりでした。

 

 

この頃からNICUの医局長も4週間のバカンスへ。

 

「医局長がバカンスから戻るまでピピウの退院はおそらくないだろう。」

「ピピウの場合は医局長がOK出さないと退院にはならないだろうから。」

という看護師さんたちの意見でした。

 

 

当時でNICUにいた時間はすでに4か月半。

 

あと1か月くらい大した時間ではないと思えました。

 

 

少し出口の光が見えてきました。

 

 

 

 

 

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